【1〜109まで、骨髄移植病院での入院でのアレコレをアップしています。110〜は、もっとさかのぼって、病気になったころからのエピソードとなります。一度アメンバー限定ブログにあげたのをリメイクしています】
 

 

 


【 入院時の追想】

 

わたしにもしものことがあったら、この子は、どうなるんだろう。

 

おとうさんは、無理だから。

 

おとうさんは、再婚して、新たな家庭をつくるかも。

 

シンは、どうなるんだろう。

 

この2年半、ほんとに、最高にしあわせだった。

 

どんなお母さんもいるけど、わたしは、こどもと過ごすのをこの世の至上最高のしあわせと、思っていた。

 

でも、この子、大きくなったら、母親のことは覚えていないだろうし。


おとうさんとも、離れてしまったとしたら。


自分が、最高に愛されていたことも、

知らずに、生きていくのでしょう。、

 

誰の元で、思春期を迎えるのでしょう。

 

ただでさえ、繊細なちょっと難しい子。

 

きっと、周囲の理解を得られるのに、苦労するかも。

 

自分の運命をうらむかも。

 

短い間だったけども、最大に両親に愛されていたのだよ、ということを、伝えたかった。

 

 

↓ これ日付、95,6,4ってなってる。

 

 

たぶん日曜日、おとうさんパチンコ行っちゃって、寂しく二人だけで、エキスポランドに行ったときのもの。 

 

おそらく。体、しんどかったのにね。

 

 

入院してすぐに、そこらへんにあるレポート用紙に書いた。

 

書いておくと、心がおちつく。

 

結果、それがきっかけで、毎日の日記みたいになって続いていくのでした。

 

まず、しんちゃん へ、という手紙から始まりました。

 

 


 

1995年6月28日

「 しんちゃん、ママ急に入院しちゃってごめんね。

ー中略ー

 

明日から、おはようのチュ♡をしてもらえなくなって、淋しいなー。

 

今日は、マーさんとこでねんね。



 

明日は、おともだちもいっぱいいるし、きっと面白いからね。

 

しばらく会えなくなって、ママはほんとうにつらいです。

 

今まで、普通以上に、しんちゃんに一生懸命接してきたし、それが楽しかったから。

 

体力の限界をこえてでも、楽しかったから。

 

そりゃしんどいと思うこともあったし。

 

病気したりしてつらいこともあったけど。

 

ほんとに充実していたから、なにも悔いはないです。

 

でも、しんちゃんが大きくなっていってー。

 

こんなんだったことも全く覚えていないー。

 

忘れていってしまうと思うとつらいです…。

 

ママとの思い出というのは、写真やビデオでみるだけー。

 

だから、しつこく、どれだけ、ママがしんちゃんのこと、愛していたかを書きたいのです。」



 


明日は、おともだちもいっぱいいるし、きっと面白いからね。


のくだり、泣けてきます。


児童相談所はそういうところではなかった…。

 

このあと、色んなドラマが生まれました…。

 

いつも、死と、となりあわせで、綱渡りで…。

 



現在、お盆休み明け。

シンは帰省してきて、15日にまた自分のアパートへ帰っていきました。


ウチは、休み明けから、今日まで、超忙しかった。


明日も仕事ですが、半日なので、今週末のホッとした時間をすごしております。


次回

 「 112 シンのエピソード① 実は心臓に穴があいちゃってます」

 来週、金曜日更新予定です。

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