【 このブログは、25年前、重症再生不良性を発病し、骨髄移植をうけた当時の家族や、周囲の人たちの、記録となります。

当時の日記があって、育児日記や忘備録も兼ねていますので長文すみません。ブログ主は、現在元気で生活しています。】


退院してから約10ヶ月後。


このころ、ワタシより先輩の移植患者の一平さんたちが発起人となって、移植患者の会「銀杏の会」というのを発足しました。


第1回の会があり、病院の会議室を借りて、みんなで情報交換をしました。


血液内科の先生やら、看護師さんも、メモとりながら参加されていました。


先生がたも、看護師さんも超多忙なのに、頭下がる。


骨髄移植は、ホント患者それぞれ、いろいろあって、なんというか最低限のマニュアルがあっても、臨機応変に対応していかないと、なにが起きるかわからない。


なので、先生がた、看護師さんも手探りというわけで。


経験値をいっぱい積むしかない。


特に、この病院は特殊で、第二内科、第三内科、

小児科の患者さんがそれぞれいて。


各科それぞれとは、情報の共有がなくて。


むしろ、第2と、第3はライバルみたいなかんじ。


でも、患者同士は、そんなこと知ったこっちゃなく。


無菌レベルが、第2と、第3とちがって、食べてイイものとかがちがってたり。


なんか、不思議な感じだった。


病棟をあずかる看護師さんたちは、大変だったと思います。

文句いわれることが多くて〜。



翌年、第2回の会があって。


みんな、またでてこれてよかったねって。


安否確認。







この会にでてこれるという、それだけでも、なんか選ばれた人のような気がしました。


高校生で、白血病を発症した、野球少年のあつしくん。


奇跡的に、親子間でハプロ移植後、成功して、1回目は、退院後すぐだったけど、会に出席。

2回目のこの会にも、元気な顔をみせてくれました。


合併症の脳梗塞を発症して、半身麻痺のようで、杖をついていたけども。

笑顔で、みんなの前に、あらわれて。


おかあさんと、よくお話させてもらったので、ホントにうれしかった。



アンケートとか実施して。





Q1。クリーンルームに持ち込み、口にできた缶詰は?


そもそも、缶詰は缶切りを使うのがNGだったので、プルタブでないと持ち込めなかった。

それで、他の人に、プルタブのカニ缶をもちこんだという話をきいて。

カニ大好きなので、好きなものなら食べれるかもと、夫に探してと頼んだけど…。


すごく探したけどなかったらしい…。すごくトホホな気持ちだった。


ネットとか普及していないし。


他のもの、一切食べれなかったし。

これみると、すごい人いるなあー。


無菌室で焼き鳥の缶だってー爆笑






Q2。持ち込んで食べた感想


結局、口の中が痛いというのがあったりするから。味覚も何でも苦く感じたりと。

みなさん、それぞれ努力されたのですねー。






Q4。低菌食で美味しかったメニューは?


もう、ワタシのときは一切憶えていない。

ほとんど食べれなかったし。

うなぎの蒲焼きとか、魚の煮付けって…。

もう尊敬❗️

猛者でしょ❗️






Q16。ビデオデッキは持ち込まれましたか?

子供のビデオ1人。

これワタシ。

デッキではなく、ハンディカムそのままで、液晶画面でみた。

イヤホンをすると、シンが、すぐそばにいる気がしたんだなー。







Q19。クリーンルームで何をされていましたか?


みなさん、だいたいテレビ。

そして、観覧車(笑)


いつも、ブラインドを開けると、万博公園の大観覧車が見える。


ただ、辛い時はほとんどブラインド閉めたままだった。


でも、退院したら、またシンと乗るんだ!と。

励みにもなりました。





出席者資料


だいたい、半数のかたが、再入院したり。


ワタシは、この会があった数年後、一度下がらない高熱で、入院したっけ。


そういえば、ヘルペスにかかるひと、3分の1か。


そういえば、ワタシも、この数年後くらいにかかったっけ。


高熱と痛みで大変でした。

仕事がどうしても休めないし、痛い顔もできない。


ヘルペスの痛みが、尋常でなくて、時折発作のように、ズキン!とくる。

このときに、うって声出そうになるくらいの、強い痛みでした。



でも、ここにでてこれてる人たちは、選ばれた生還者で。


そもそも病院からでれず、帰らぬ人になってたり。

再発で、グズってたり。

名簿にないひとが、数多くいらっしゃる…。






先生に質問コーナー。


●臍帯血からの造血幹細胞移植は、体重30kg未満の小児には可能らしいが、実際に一般ではどうなのですか?


ans。冷却保存などの処置のため、設備とコストがかかりすぎる。1部ではそのような動きもあるが、バンクになるには、難しいと思う。

外国では民間ビジネスで、臍帯血を集めているときいた。





あれから、約30年後の現在…。


当時先生が難しいといっていた、臍帯血バンクができています!


日本赤十字社の、ある意味公的な、バンクです。


大人の方も、臍帯血による幹細胞移植を実施しています。


これによって、だれかの命や、その家族のかたが救われているわけですね。


ワタシ自身は、周りのひとと、お別れする辛い経験が多かったですが、色んな方に、このシビアな世界があることを知ってもらえたら、と。


健康になって生きていることが、なぜか後ろめたくもあったりしてて。


今なぜか生きてる自分にできることのひとつなのかなー、と。

忘備録も兼ねて、お伝えしている次第です。



次回

「友人の骨髄移植の結果は」

今週金曜日、更新予定です。

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