【 このブログは、25年前、重症再生不良性を発病し、骨髄移植をうけた当時の家族や、周囲の人たちの、記録となります。

当時の日記があって、育児日記や忘備録も兼ねていますので長文すみません。ブログ主は、現在元気で生活しています。】


まーさんが、もう一つのブログに先日コメントをくれていたやつのコピペ。

退院間際のこと





あのときの実家はもうなくて、祖母もいない。


でも、

この絵は、ほんとナチュラルで時がとまったかのようで好きおねがい

写真にはない、シンのふわーっとした空気まで感じる。




退院後は、保育所の年度がわりまで、実家暮らし。

 

シンの送り迎えとかしながら。

 

週末は、市内の自宅マンションへ。

 

行ったり来たりと。

 

しかし、このころから、もう、ボーッとなってしまって。

 

朝、シンを保育所まで、送っていった後、午前中は布団でぼーっとすごす。


テレビをみることもなく、日記を書くこともなく。

 

とにかく、ぼーっとなっていた。

 

なんでだろうかな。

 

えっちゃんのことを、ひきずってたり。

 

なのかな。

 

退院して、バラ色なはずなのに。


お見舞いにきれくれた人たちに、なにか、お返しせなアカンけど、なんか、一歩動けない。

 

すっかりよくなりましたー

とは言えない。

 

もちろん、このころもステロイドの量も多かったし、免疫抑制剤も飲みながらだし。

 

通常には程遠い、体調。

 

なにをするにも、おっくうで…。

 

病院にいるときは、スタッフの人がいつも優しく声をかけてくれて、

理解してくれてる人に囲まれてたから、気がつかなかった。

 

4月から、市内の自宅に戻る。

 

ダンナはあの調子…。

 

不安というか、わけのわからない倦怠感が増していった。


このころは、実家にいて母も祖母もいたし、まだ色んなことをせなあかんプレッシャーもなかった。


週に1度くらい通院していて。


病院に行ったときは、東4階に行ったり、11Fのノブコさんを訪ねたり、看護婦さんとかと話したり。


病院に行くと、なんかホッとした。


4月から、なにもかも元通りになれるのかなー。


ダンナは家事一切しないひとよー。


自分が食べたものも、テーブルに置きっぱなしのひとよー。


野球とかはじまると、そこから動かないひとで、一切、他の音がきこえなくなるんだよ。


元気な時は、ワタシなんでもやってきたけど…。


でも、いざとなったら、きっと、助けてくれるはず。

それだけ、家族に尽くしてきた自負はある。


でも、そうではなかった〜。


「あー、そうなんだー。そういうことか。」


弱っている時こそ、助けてくれると思ったら、大間違いで。


使い物にならない嫁は、お荷物なだけかー。


という感じが、入院中、頭から離れなかった。


色んなことがあったし、色んな家族をみてきた。


ドラマのように、きれいごとではない。


聞くと、移植の際でも、兄弟がドナーになる際でも、奥さんが反対したりと。


そんな話もあった。


そりゃ、みんな自分を守りたいんだろけど、そんな人になりたくないなー。




人の考えなんて、モラルとか自分がこうだから、とか、夫婦でも考えがちがって当然。


だから…。しかたないけど…。


どんどん、気持ちは家族から離れていく。


可愛くてしかたないはずの、シンからさえも、離れていく。


次回

「104 病気の1年前の育児日記」

来週火曜日更新予定です。

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