【 このブログは、25年前、重症再生不良性を発病し、骨髄移植をうけた当時の家族や、周囲の人たちの、記録となります。

当時の日記があって、育児日記や忘備録も兼ねていますので長文すみません。ブログ主は、現在元気で生活しています。】

 

このクリスマスイブには、1Fのロビーで、病院の職員さんか、学生さんかによる、ハンドベル&弦楽器コンサートがあった。

 

「なんとか、それだけ観に行かせてもらえませんですかねえ…。観たらすぐ帰ってくるんで。」

 

と言ってみたけど。

許可がおりなかった。


当然だけど。

 

ノブコさんからのお手紙。

 


 

今日はホワイトクリスマスになりました。

ロマンチックでいいなぁと思いました。

夜は外来ロビーで、クリスマスコンサート(ハンドベル弦楽アンサンブルなど)があり結構よかったです。

気分も変わるしね。

えっちゃんもクリーンだったのですが、これました。

主治医と婦長さん付き添いでしたが。

終わってから婦長さんが、記念写真(みんな一緒に)をとってくれました。

コジマさんの体の具合はどうですか。?

気分が良ければ良いのですが…。

毎回同じ事しか言えないけど、もう少しの我慢だと思って頑張ってね。

きっと元通りの生活ができるようになるから。

 

 

毎晩お祈りしてるし、きっとみんなで元気になろうね。

私もやりたいこといっぱいあるし、コジマちゃん、えっちゃんはもそうでしょう。

気持ちをしっかり持って病気に負けないよう一緒に頑張ろうね! 

(私なんか気持ちがメンタルになって涙が出そうになることあるから自分で自分を慰めてみることもあります)

ところで私の主治医はH井先生。話をよく聞いてくれるほっぺがかわいい先生です。

ニューバランスと言うメーカーのスニーカーを履いています。

 

(中略 周りの先生のことやら、色々報告してくれてる話題・・・)

 

 

年末は28日に外泊します。

新年は5日に採血、放射線(20回で終わる予定が26日になったため)にいちど帰ってきて、またその日の夜に帰ります。

結局8日の朝まで冬休みがもらえるので嬉しいです。

娘と遊んだり少し勉強見てやれるし…。

もう丸一年ほったらかしですからね。

コジマちゃんも寂しいのに私だけ帰ってごめんね。

また帰ってきたら手紙が書きますね。

くれぐれも体を大切にしてくださいね。

そして新しい気持ち新年を迎えてね。

会える日楽しみにしています 

12月25日夜11時ノブコ

 

 

そして、ワタシがノブコさんにあてた手紙の返事が手元にあった。

(たぶん、渡しそびれてしまって手元に残ってる。)

 


 

心温まるお手紙いつもいつも届けに来てくれてありがとう。

とってもうれしい!

 

そうそう、昨日はクリスマスコンサートだったって。

よかったね!

私も先生に頼んだのだけど、「絶対だめ!」て言われてがっかりしたのです。

えっちゃんはよかったね!

 

先生にも、最近えっちゃん少し元気になったと聞いてます。

私は、あれからずいぶん回復が早くなり、今とても元気です。

でも私、さっさと移植しちゃって、元気になっちゃって、えっちゃんだって、移植、待ってるのに、胸が痛みます。

 

みんなそれぞれ違う病気だけど、みんなそれぞれ苦しみ方が違うと思うのだけど、そして頼るものなんて結局自分自身がしっかりしなければならないんだって思うのだけど、同じように病気で辛い思いをしている友達がいる、そして助けてあげることができないんだと思うと胸が痛いです。

 

私、移植の辛い時に、えっちゃんのことよく思ってたのよ。

 

彼女はそれでも明るく強いんだなぁって…。

私見た目結構しっかりしてるみたいだけど、いざとなるととっても弱くて、本当に先生を困らせてしまった。

自分でもこんなにもろい人間だったのかと愕然としました。

 

まぁそれくらい、あまり順調に行ったとは言えない移植だったのだけど、よく乗り切ったなぁーと思います。

 

 

 

 

今は肺炎も、肺に至らずに治りましたので、みんなと同じペースになろうとしています。

(後の移植の人に追い越される勢い…。)

 

移植も人それぞれなので、ほんとに、とんでもないことが起きてしまいます。

 

私と入れ替わりに無菌室に入った人は、1週間も経たずにこの世を去ってしまわれたり(30歳なのに)

また全然元気な人もいますし…。

 

でも私気づいたら、あー生きててよかったーと言う感じ…。

 

今週から低菌食から普通食になって感激しています。

 

フルーツや生野菜はほんとに夢に見るほど食べたかった。

そして、今日久しぶりにシャワーをしました。

だんだん人間らしさを取り戻してきました。

子供ともこっそり母に病室に連れてきてもらって会いました。

2ヶ月の溝はすぐに取り戻せました。

 

一つ一つ、元に戻っていて、幸せを感じています。

 

本当に来年はノブコさん大変だけど乗り越えてね!

もう少しだからがんばろうね!

えっちゃんにもそう言いたいけれど…。

うまく言えないけど、よろしく言ってね。

お正月は目一杯楽しんできてね!

良いお年を!

 

(またU井先生にこの手紙持っていってもらいます。

とても気さくな先生なので。

今日は採血当番なのに雪で遅刻して、代わりにY田先生が来てくれました。

なんか久しぶりで嬉しかった。昨日も雪、昨日はノブコさんの主治医のH井先生が遅刻して頭抱えてきました。みんな先生らしくないところがいいね。)

 

こういう手紙のやりとりが、何度もあったっけ。


昭和だなあ…。

 

もう、今じゃこういうことはない。

手紙もらったとしても、返事だすのメンドクサイとなってしまったり。

手紙を書くのも、相手に、重荷になるかもって、躊躇するかもしれず。

 

この手紙、おそらく渡そうとしたら、帰省したあとだったのかも。

手元に残ってたおかげで、様子が書かれてて今となれば、ラッキー。

 

えっちゃんは、少し元気になったとある。

 

でも、わかってる…。

奇跡は起きないと。

 

もう、ターミナルケアにはいってるんだ・・・。

 

S原婦長さんは、ホント、とても患者思いだった。

 

今週から、「低菌食から、普通食になった」と、記述が…。

 

そうだった。

 

生野菜が食べれるようになったんだ。

 

しかも、この時の朝食に、なんと生野菜がついてきた。

透明なカップにはいって…。

カットしたレタス。

それは、ハッキリ憶えてる。


ビックリしたから。

 

「ん?」

と思った。

 

そもそも、以前は、朝ごはんに、ぜーったい、野菜はついてこなかったからだ。

 

オレンジゴロン、とパンだったりしたから。

 

一度たりとも、野菜がなかったから。

 

あの時は、それがガマンならなくて。

 

ワタシ、S原婦長さんに相談し、教授会に訴えたという、行動を起こしたのだった。

 

移植病棟に入院する前の、11Fでのこと。

 

とにかく、生野菜、フルーツが夢に見るほど、食べたかったので


むちゃくちゃ、嬉しかった〜。

 

以前の、関連記事

 『37 病院食の改善にむけての切実な願いが。骨髄移植前の入院生活』【 このブログは、25年前、重症再生不良性を発病し、骨髄移植をうけた当時の家族や、周囲の人たちの、記録となります。当時の日記があって、育児日記や忘備録も兼ねて…リンクameblo.jp

 

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