【 このブログは、25年前、重症再生不良性を発病し、骨髄移植をうけた当時の家族や、周囲の人たちの、記録となります。
当時の日記があって、育児日記や忘備録も兼ねていますので長文すみません。ブログ主は、現在元気で生活しています。】
大好きな祖母が、残してくれた私の中での3大教訓。
ひとつは、人には親切にする。
【親切にすることで、自分も幸せになれる。「情けは人の為ならず」】
ふたつめは、命の奇跡。
【生まれる前はもともと、海岸の砂粒だったのを、神様が親指ですくってそれが、今ある命。】
そして、三つ目は…。
まだ小学校低学年のころだったか。
祖母の家で、夜なにかしら遊んでたか。
冬の終わりだったか、春だったか。
庭に草が生えていて。
菖蒲みたいな長い葉っぱが、そこらじゅうに枯れて、倒れている。
「すみちゃん、あれ見てみ。
あの、枯れて倒れてる葉っぱあるやろ。
あれ、なんでと思う?」
「なんで?」
「あれはね、お母さんがね、自分は死んでも、その下からでてくるこどもたちの、お布団の役割をしてるのよ。」
「へー!おかあさん、ただ枯れてるんじゃないのか!」
「ほら、緑の小さい芽がでてきてるやろ。」
たしかに枯れ葉のしたから、新緑のこどもたちがニョキニョキ顔をだしている。
枯れて汚くなった葉っぱは、保温や保湿の役割をしているのだ。
この話を聞いたとき、なにかとても感動して。
じーんとなっちゃって。
こどもたちは、そんなことも知らずに、すくすく育つ。
おかあさんたちは、こどもの成長をみることができない…。
でも、また次の世代へ命をつないでいく。
ずっとずっと、心に残ってて…。
祖母との会話には、色々タメになる話がいつもあって。
しかも、なにか既存の受け売りの話ではなく、実体験を話してくれる。
いまだに、生きる知恵となっている。
今、枯れようとしてる命であっても、次の世代にバトンタッチ。
自然界の生き物たちの、生きる目的ってなんだろう?
あらゆる生物、共通のこと。
それは生命を次世代にバトンタッチすること。
そのためだけに、必死に生きてる。
自分のこどもだけでなく、みんなで次の世代を守る。
そのために「今」を必死に生きる。
そして、どの生き物も、死を恐れない…。
それに、自分で死を選ぶこともない。
将来の息子には、なにもしてやれないけど。
笑顔のママとの思い出と。
この記録やビデオたち。
短い時間だったけど。
キミをなによりも大事にしてたよ、と。
自分自身は、なにもやり遂げていない人生だったな。
周りに流されて。
せっかく、この世に生まれてきたのに。
やりたいことはできなくて。
辛いばかりの人生だったかも。
でも、この数年はホントに幸せだった。
しんちゃんのおかげで。
でも、もう、ちゃんとしてやれなくて…。
また、砂粒になり、次に生まれるまで、数億年、じっと待ち続けるのかな。
でもいいや。
ワタシも、枯れ葉のようになりたいよ。
自分の死が、有意義なものになりたいよ。
今わの際は、この世に未練があっては辛い。
自然界のみんなみたいに、シンプルにいたい。
安心して、旅立ちたい………。
ダメです!
心穏やかに、旅立とうとしてるそこのアナタ!
人間として生まれたからには、そうは行かないんですよ!
未来の自分から、過去のキミへ、メッセージを送ります。
次回「65 未来の自分から過去の自分へメッセージ」
金曜日夜、更新予定です。
いつも、イイネありがとうございます。