【 このブログは、25年前、重症再生不良性を発病し、骨髄移植をうけた当時の家族や、周囲の人たちの、記録となります。
当時の日記があって、育児日記や忘備録も兼ねていますので長文すみません。ブログ主は、現在元気で生活しています。】
12月6日(水曜日)
今日でこの無菌室はとうとう40日目。
そしていよいよ明日ここから出れると言うことになった。
しんちゃんと最後に(電話で)もっと喋りたかった。
待っててねって。
しんちゃんずーっと待っててね。
ずいぶん長い間待たせているけれどもう少し待っててね。
もう少し…。もう少しだからね。
急にしんちゃんが恋しくなった。
いつでも電話があるししゃべれると思ってたけどと、今度向こうの部屋には電話がないから、ある意味で急に孤独かもしれない。
今までは辛くて、自分のことが精一杯で、電話どころじゃなかったけれど、ここ10日間位、すごく楽になったし、しんちゃんのことを考える余裕が出てきた。
だから明日、ここから出れるの嬉しいけれど、しんちゃんと遠くなる気がして少し不安。
早く外に出たい。
外を自由に歩きたい。病室の外に出たい。
電話のあるところまで1人で歩いて、自由に歩いて、とにかく早く退院したい。
もうこりごり。しんちゃんに
「もうママ治ったから、病院に行かなくてもいいのよ。ずっとしんちゃんといるよ。」
って言いたい。
今は先生がダメダメって言うのよ。注射チューってされるからねって、いつも言う。
半年前は、いつもママにべったりで、おっぱいが離せなくて、まるまる太ってて、言葉もうまく話せずで、運動もイマイチの子だった。
今ではずいぶん見違えるほど成長した。
周りの子のペースに追いついた、と言う感じかなぁ。
確かにすごくあの子にとっていろいろな経験をさせて辛い事もあったけど、よかったのかもしれない。
ママは寂しいよー。
帰ったらまたべったりになってしまいそうで。ままごとをしてしまいそうで怖い。
早く治って元気になって早く早くー。
明日はお父さんの誕生日だ。
このころの、シンの保育日誌。
実は、
無菌室から退室というのは、状態がよくなったからではなく。
40日という期限のため。
家族は、良くなったと思ってた。
40日目で、まだ免疫抑制剤をジャンジャン使ってる。
GVHDとのせめぎあい。
体力がもつのか。
そして、免疫抑制剤をジャンジャンつかってるので、恐いのは、感染症だった。
肺炎とか。
カビとか。
小さな子供がかかるような、肺炎。
このころは、エイズの人がよく肺炎でなくなったりというのは、きいたけど。
つまり、免疫不全状態なので、弱いウイルスでも命取りになる。
このころ、無菌室から出れるので、舞い上がってたけど、実は、発熱していた。
それで、無菌室から退室直前に検査をすることになった。
サイトメガロウイルス(CMV)の抗原検査。
アンチゲネミアと言ったっけ。
「サイトメガロって、小さい子供がかかったりするやつですよね〜。」
O島先生
「いやでも、コジマさん、今、もし、この状況で、サイトメガロ肺炎発症したら、致死率80パーセントだからねー。」
「へえー。免疫を抑制してるから…ってことで、そんな危ないのかー。」
抗生剤のバンコマイシンが、結局最後まで飲めずにいたので、そのせいかと、ビクビク。
後ろめたい。
でも、吸入とかはちゃんとしていたし…。
このころは、自覚症状が落ち着いてきてたので、あまり危機感がなかった。
発熱ぐらいは、慣れっこで、そんな辛いものでもなかったし。
数日後、検査の結果が出る…。
次回「68 また、致死率80%のやつやーん! 」
来週火曜日夜、更新予定です。
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