【 このブログは、25年前、重症再生不良性を発病し、骨髄移植をうけた当時の家族や、周囲の人たちの、記録となります。
当時の日記があって、育児日記や忘備録も兼ねていますので長文すみません。ブログ主は、現在元気で生活しています。】
この記事、火曜日更新予定でしたが、うっかり水曜日になってしまいました。
スミマセン^^;
個室の準無菌室。
天井の真ん中に、カメラがある。
ナースステーションで、常にモニターされてる。
この部屋に持ち込むのは最低限。
「これ持って、応援すると負けないんだよ~。」
と友人が持たせてくれた、阪神タイガースのキーホルダー。
大事なものなのに。
数年前に勤めていた会社の同僚たちがくれた、千羽鶴。
会社やめた後輩たちも、声をかけあって、作って持ってきてくれた。
同じ病気の加代子さんにいただいた、オルゴールの写真立。尾崎豊の「I LOVE YOU」
これらは、大切なお守り。
確かに、みんなが、わたしを思ってくれてる。
このあとの無菌室には、滅菌したものしか持ち込めない。
千羽鶴は断念した。
低菌食がはじまったけど、なんか、最後にむしょうに、ケンタッキーのフライドポテトが食べたくなった。
どうしても食べたい…。
おとうさんに、「買ってきて。」
と無理にわがままを言って、夜持ってきてくれた。
「ん~、おいしそう、いい匂い♡」
ところが、ちょうどその時。
指導医のI田先生が部屋に入ってきて
「コジマさん、ダメ!」
と言われ…。
「え~?揚げてるし、滅菌してるみたいなもんですやん!!」
と食い下がったけど、きまりだからダメ…。
「あ~~~~。」
辛いよ~。
おとうさんに持って帰ってもらった。
匂いもプンプン部屋に残って、ものすご~~~~く残念だった。
「あ~、ひょっとして死ぬ前に、ポテト食べたかったなあって、思うんかなあ…。」
なんて、思った。
次回
「55 骨髄移植直後の髪の毛の戦い」
金曜日更新予定です。