どーも、Wunderです

今日は私の恥ずかしい過去のことなど。

小さい頃、私は物覚えが割といい方だったらしく、難しい言葉もいち早く話せるようになったとか
親族が家にきたとき、「ははは、こいつはいつか学者さんだな」などと話していたのを、うろ覚えに記憶しています

もちろん、こんなトークは他人の子供に対するただの社交辞令

陰気で黙りこくっていることが多く、頑固っぽいところを見抜かれ、かつ多少言葉の記憶がよい、ということを結びつけて、「学舎さん」と持ち上げて言ったに過ぎません

でも、私はそのことをずっと記憶していて、そして他に何かに向いてるなど言われたことなど皆無でしたから、その記憶だけが、私と私の将来をつなぐ他者からのメッセージだったようです


高校生になった私は、倫理の授業を聞いて、哲学に強い憧れを抱きました

そして、実際にカントの「純粋理性批判」や、ハイデガーの「存在と時間」などを多少拾い読みしたりもしました。

全然わかりませんでしたが、言葉の端々で少し分かるところを自分の想像で埋めて、それで、分かった気になっているような状態でした

読んだ哲学書の冊数も5冊くらいだったと思います

それなのに、私は哲学者になろうと決めて、大学受験をしました

哲学を学ぶのにいい大学はどこだろう?などとはあまり考えず、名の知れた大学を国立と私立、受験して私立に入学しました

頭の中は、哲学者になると決めていて、揺らぎません

入学後、確かに哲学関連の本は、何百冊かは読みました

しかし、本当に研究者を目指す同級生たちが、ゼミの教授との読書会や、院生との交流などを通して、研究者となるための様々な情報収集や、研究の手順を、地道に学んでいる間、私は、そんなことが起きているとはうっすらとしか知らず、ただ我流に哲学書を読んで、「未来の哲学者」と我流に夢想していたのでした

誰かと親密になっていくのは苦手。
大学院入試を落ちたとき、指導教官に言われました
「まさか受けるとは思ってなかった。そのつもりなら、もっと研究のことを伝えておいたんだが、、、」
別の大学院も受けて、卒論を見せて面接で言われたのは、
「なんだい、これは?小説家にでもなればどうだね?」

私が書いたのは研究論文でもなんでもなくて、高校時代から変わらず、勝手に読んで、勝手に感じたことを羅列したただの文章でした

きちんと、師について手ほどきを学ぶ、ということが一切欠けていたのです

哲学者になる、という、思いはあった
しかしなるために、何をすべきなのかを考えて、一つ一つ行動するという発想が一切欠けていたのです
(ま、発想があっても、私の能力で研究者になれたかは疑問ですが、それ以前の問題だったわけです)

さて、こんな目にあって、その後どうなったか。

実は、「こんな目にあったこと」を生かすことが、できませんでした

次に目指したのは「臨床心理士」
…そもそも人が苦手なのに、そこが分かっていない

次に目指して実際になったのは「営業職」
…そもそも人が苦手なのに、またまたそこがわかっていない

次になったのは、派遣社員で「コールセンタースタッフ」
…人とか関わるのが無理だって、何度目よ?

次になろうとしてなったのは、「教員」
…おい、お前…

人生を生きていれば、自分がどういう形なら活きるのか、どういう形なら死ぬのか、見えてくるはず、というのは、定型発達者のことなのでしょうか?

何度も何度も何度も、何度失敗しても、自分が苦手なら分野で戦おうとする

ちょっと、これを書いていても、戦慄が走りますね

自分と、その自分の先の未来を、しっかりと地続きに考えられない

本当に困ったもんです

今、何とか生き延びられているのは、教員といっても、特別支援学級の教員をやっているからです
これは運がよかった

ここでは、私が生きてきた道のり、私の経験がフルで役に立つからです

私が支援される側と同じ、当事者なんですもの

それがゆえの難しさもあります(それはまたいつか機会があれば、書きます)

が、とにかく、なんであろうと、今のところ、生き延びている

なんというか、見通しがきかず、何度も同じ失敗を繰り返すバカモノでも、バカモノゆえに、何度も同じ鉄壁に頭をぶつけていることにも、多少の意味はあったのかもしれませんね

少し道が開けたのですから

つまらぬ話を失礼しました

ではまたの機会に。