このたびは、私への温かいご声援を本当にありがとうございました。
そして、
ソチオリンピックで結果を残すことも、スタート台に立つことさえもできなくて
本当に申し訳ありませんでした。

先日帰国して、今は手術に向けてリハビリを行っています。
炎症が落ち着き、筋力を戻したら再腱手術をする予定です。

12月7日に受傷してから、
本当に多くの方々に支えて頂きながら、
50日間という日々を右膝と向き合いながら全力で取り組んできました。

応援して頂くということは、パワーをもらうことなんだと改めて感じました。

この4年間もそうですが、モーグルを始めてから18年間、
手術をする程の怪我はなくとも、腰痛、足首、そして膝、
少なくない故障に悩んでいました。
それでも、いつも目標を変えずに出来る事をやり、
少し遠回りになったかもしれませんが、一つずつ結果に結びつけることができました。

だからこそ今回は、
どのぐらいのリスクがあるのか、
どのぐらいのパフォーマンスがあがる見込みがあるのか、
どの痛みにどの対応をしたら、どのような心と身体のケアが必要なのか、
パフォーマンスを上げるために必要なことは何なのか?
連日医療スタッフと確認しながら、ひとつずつ取り組んできました。

目標を変えないで取り組むと決めたのに、
大丈夫、いける、と強気な気持ちの日と、
やっぱりだめかもしれない、と弱気になる日もありました。
それでも、
やってもいないことを最初から諦めることはどうしてもできませんでした。


全てのリスク管理と、多くのサポート態勢の上で私の活動が動いていきました。
「はじめから無理だと分かっていた」「膝の限界」という意見もあります。
それでも、最高のスタッフたちと綿密な管理体制のもと、
私は少しずつ元の力に戻していくことができ、
1本1本パフォーマンスを上げていることを実感し、
自分の持てる力を全て出しきれることに感謝の気持ちでいっぱいでした。


ただ、今回の予選直前での右膝の亜脱臼は衝撃的でした。
この痛みがきたら、もう厳しいと分かっていたので、酷く動揺しました。

その時の私を「脳しんとう」だと判断した現地の医療スタッフが首の固定に入り、
ロシア語の飛び交う中で、首と頭を押さえつけられ、恐怖でたまりませんでした。
多くの気持ちの整理がつかないまま、申し訳ない気持ちと膝が痛くてたまらない心で、
私は、失望感でいっぱいでした。

私の今回の挑戦に多くの方々がサポートしてくださっていました。
だから、どんな顔をしていいのか分からなかったです。
どこにいっても30人単位の報道陣の方や、カメラが向いていて、本当に怖かったです。
ただ、それだけ注目してくださっていたんだな、と思います。

これは感情論ではない。
そして地球最後の日ではない。
と分かっていても、涙が止まらず、
そしてその理由は私が自身の挑戦に完璧に負けたからだと分かりました。


今まで生きてきたなかで、一番最悪な日だと感じました。
それでも、多くの方が私の心に寄り添ってくれました。
本当にありがとうございました。

小さい頃、父親に「人間万事塞翁が馬」という言葉の成り立ちを教えてもらいました。

今が最悪だと決めつけるのはいつでも出来るし、
それは今じゃなくてもいいのかもしれない、と思いました。

ヤンネコーチが来て言いました。
「みきにとって今日が地球の終わりだと感じているだろう。でも、きっと思い出になる日が必ず来る。」

私のソチオリンピックは終わりましたが、また新たな目標に向かって、
今まで以上に貪欲に取り組もうと思っています。
一番最悪な日のままで終わりにするのか、一番特別な日にするのかは、
これからの自分の取り組み次第。

年々、スキーが好きで、モーグルが好きだという感情が増すのは、
スキーをやらせていただける環境や多くの方々の支えがあるからです。
本当にありがとうございます。


次スキーを履く時は、もっともっと強くなりたい。
応援してくださっている皆さんに私の滑りを見てもらえなかった悔しさを、パワーに変え、
また人として、そしてアスリートとして大きな成長が出来るように頑張ります。


応援してくださった皆様、
本当にありがとうございました。


そして素晴らしいチーム、コーチ、スタッフ、チームメイト、たくさんの時間をかけ、私の右膝と向き合ってくださったドクターの林先生、相澤先生、奥脇先生、柳下先生、PTの横田先生、竹内先生、山下治療院の山下先生、峯嵜さん、トレーナーの遠山さん、湯浅さん、東さん、鈴木さん、常に寄り添ってくれていたマネージャー、いつも見守ってくださっていた所属先の北野建設様、スポーツビズの皆様、全日本スキー連盟の皆様、そしてスポンサーである日清オイリオグループ様、ニューバランスジャパン様、西川産業様、日本生命保険相互会社様、アサヒビール様、アルペン様、用具を最後まで調整してくださったジャパーナの皆様、長野県スキー連盟の皆様、琵琶湖のような大きな愛で応援してくださった滋賀県の皆様、日野町の実行委員会の皆様、近江兄弟社高校、中京大学、大好きな家族と伊藤家のみんな、そして応援してくださった全ての方々に、感謝しています。

何があっても頑張ろう、と思った50日前と同じく、
また新しい強い自分になれるよう精一杯頑張ります。

本当にありがとうございました。


北野建設スキークラブ
伊藤みき