少し落ち着いたので更新します。


18日の夜、母が突然逝ってしまいました。


自分が母を仰向けに寝かした直後に突然咳こみ意識を失い様子がおかしくなったので大声で母さんと呼んでも応答がなくなりすぐに心臓マッサージをやって救急車を呼びました。5分で来て親父が誘導してくれました。救急車が来るまでずっと心臓マッサージするよう指示を受けやりましたが5分が本当長く感じました。

病院へ着いてすぐに心肺蘇生を行い自分は状況を話し待合室で待って50分くらいになり呼ばれました。


『心臓はほぼ止まってました。脳まで血液が行き届かない状況で仮に心臓が動いても二度と意識は戻りません。このままでは助からないです』


ついさっきまで普通にしていた母さんがなんでこうなってしまうんだということしかなく頭が真っ白になりました。


機械を止めていいか家族で判断してくれと言われ家にいた親父にすぐに電話して止めることにしました。救急で手当てしてる2時間、夜10時半になり一度歩いて帰りながら叔父、弟、ケアマネジャーに電話してきてもらうことにしました。

親父と病院へ戻り親父と二人で母の臨終を聞いてすぐに医者からなんでこうなったか原因が分からないのでCTを撮らさせてと言われました。

その直後に弟が来て亡くなったと話しました。


家でほぼ心停止状態だったので警察が来て検死をするからと司法解剖をしました。原因がわからないままです。診断書には『急性循環不全』と書かれてました。警察は「不詳の内因」と言われました。

それから警察官と一緒に家へ行って家中の写真や財産のこと、いろいろ聞かれました。やっと警察官が帰ったのが夜中3時半前。また病院へ戻り弟と医療関係者と三人で母を霊安室へ移動しながら母の思い出を話し明け方四時半、親父を起こし家の前を母さんが通るからと待っていてくれました。家の前をゆっくりと車を通り過ぎる時には泣きながら手を合わせてました。


自分が喪主を勤め葬儀の打ち合わせをやり弟も付き合ってくれました。家族葬だから簡単にと決めました。


湯灌は親父と参加し、一緒に棺に母を入れるときには自分涙が止まらなくなりました。


お通夜は一旦親父は家のことを頼み弟と一晩母さんと過ごしました。綺麗な母の顔を見たら号泣しました。


20日に葬儀を終わらせてこれからは親父と二人で明るく暮らしていきます。


二人で母の思い出話をしたり部屋は当時のままにしようと二人で泣きながら話続けました。


近所の人らも家に来て母を冥福してくれました。やっぱりいろいろ話を聞くといい思い出ばかりで聞いたら涙が止まらなくなりお礼を言いました。


今でもピースサインをしている母の遺影を見るたびに涙がでて


『ありがとうね。楽しい思い出しかないよ』

『あの世で派手に楽しんでね』


ばあちゃんが亡くなって約七ヶ月後にばあちゃんの後を追うように亡くなった母。


きっとばあちゃんもあの世でこんな早く何しに来たと母さんを冷やかしてるだろうなー。


これから親父と二人三脚で協力しあい母を偲びながらしっかり生きていきます。


まだ亡くなって5日しか経ってないからまだ自分は思い出す度に泣いてしまいますが気落ちしないようにしていきます。


母さん、今までありがとう。ゆっくり休んでね。