自分自身の客観的評価は難しい

 

  私は英語の集団授業を行っていて、毎回の授業で家庭学習をきちんと行ってきたかどうかを確認するために小テストを行います。試験内容も分量も毎回同じで、生徒は試験範囲を告知されてから1週間の猶予の後にテストに臨みます。きちんと1週間のスケジュールを立て、それに沿って学習を行っていれば満点は確実です。しかし、どのクラスにも毎回のように20点満点中3点未満の生徒を取る生徒が数名います。

 

  その生徒達にテスト勉強をしてきたかどうかを聞くと、毎回のように「やってきた!」と堂々たる返事が来ます。しかし実際に試験を受けさせるとやっぱり2点…。一体どこからその自信が湧いて出てくるの?と不思議になります。そこで、授業前の待ち時間を使って、私が発音をした単語を書いてみるように言ってみると、やっぱりさっぱり書けていない。その事実を突きつけ、「さっき勉強してきたって言ったよね?どうやって勉強してきたの?」と聞くと「見て覚えた。」との答えが返ってきました。「見てるだけの勉強でこの結果をどう思う?」と聞くと、ようやく自分はきちんと家で勉強をしたつもりだったけど本当は出来ていなかったんだという認識ができた様子でした。

 

  逆に、毎回満点または満点近い点数の生徒に勉強をしてきたかと聞くと、「一応やってきたけど…うーん、どうかな…授業が始まる前にもう一回確認しておきたい。」という、ちょっと不安げな様子です。私が言わなくても教材を広げて何度も何度も単語を書いたり文章をきちんと書けているか確認したりします。そして結果は毎度9割以上で素晴らしい。

 

  両者の自信の度合いは逆なんじゃないかといつも感じます。普通はできていないと自信が無くて、できていれば自信があるはず。しかし、これが有名なダニング=クルーガー効果の表れです。つまり、能力が低い者ほど自分の能力を過大評価し、能力が高い者ほど自分の能力を過小評価する傾向にあるというものです。

 

  なぜ能力の低い者は自身を過大評価するのかと言えば、

  • 自分自身の能力の低さを認識できない
  • 自分自身の能力がどの程度不足なのかを認識できない
  • 他者がどの程度の能力を持っているか分かっていない
  • 自分の能力の無さは、実際に努力した後にのみ認識できる
  反対に、能力の高い人は他者のほうが自分よりももっと能力が高いと見積もってしまい、自分ができることは他のみんなもできると思ってしまいがちです。自分はまだだめだ、まだだめだ、と思い続けることで成長していくのです。
 
  この両者の間にある壁は高い高いものです。成績のふるわない人は相当頑張らない限りは自分の能力不足を自覚できないのに、そもそも自分は大丈夫だと思っているために頑張ろうと思うわけがないからです。もちろん彼らの認識を改めてもらうのも講師の仕事ですが、残念ながら大人のアドバイスを素直に聞き入れることのできる生徒ばかりではありません。もちろん何人かは少しずつ自分を変えようとしてくれるので、引き続き声をかけ続けますが。