◆ ふとした違和感の正体
最近、ふとした瞬間に思った。
「あれ、自分って解体が本当に好きなんだろうか?」と。
もちろん、解体という仕事を始めてから、たくさんの学びと出会いがあった。
“べっぴん解体”というブランドが生まれたのも、この道を選んだからこそ。
だけどどこかで、少しずつ違和感が積み重なっていたのかもしれない。
◆ 自分がなぜ解体に入ったのか
そもそも、はじめから解体が“夢”だったわけじゃない。大和ハウスに勤めている時から解体はどちらかというと苦手。
人との縁、必要とされる役割、社会的な課題──。
気づけばその流れの中で、この業界に身を置いていた。
「女性中心の解体業」という言葉に反応してくれた人もいたし、自分自身もそれを信じてやってきた。
でも“本質的にワクワクしていたか”と問われたら、少しだけ答えに詰まる。
◆ 解体業界に潜むリアルな課題
- 人手が足りない
- 給料が安い
- 外国人、特にクルド人労働者が多くを支えている
- 不法投棄の問題
- 近隣トラブル、騒音、粉塵によるクレーム
社会の裏側を支える大切な仕事である一方、どうしても“ダーク”な印象が付きまとう。
そして何より、「解体=ゴミを出す仕事」という点に、ずっと引っかかっていた。
◆ 好きじゃないかもしれない理由
もしかしたら、自分は壊すことそのものに快感を感じていないのかもしれない。
むしろ、創ることの方に心が引っ張られている気がする。
「誰かの人生を終わらせる」「過去を消す」──
解体には、どこか寂しさや虚しさがつきまとう。
もちろん、解体しなければ新しいものも生まれない。
だけど、壊すこと自体が目的になってしまうことには違和感がある。
◆ それでも、自分がこの仕事を続けている理由
そうは言っても、自分はこの業界で長くやってきた。そして、自分なりにこの道の“プロ”であるという自負もある。
だからこそ──
- 当たり前のことを、ちゃんと丁寧にやること
- お客様が分からない部分を、先回りしてケアすること
- トラブルを未然に防ぐために、言葉選びや対応に神経を使うこと
それを毎日積み重ねてきたし、
それができる人や会社が少ないからこそ、自分は今も生き残らせてもらっている。
たとえ好き嫌いで仕事を選びたいという思いもない。この仕事を全力で向き合ってきた時間は、自分の中で確かなものとして残っている。
◆ じゃあ、自分は何をしたいのか?
古民家再生、廃材の再利用、土に還すような解体。
現場で粉砕し、その土地に戻す循環型の仕組み。
ドーム工法、テント式解体、手壊しの再定義──。
やりたいのは、壊すことじゃなく「つなげること」「循環させること」。
「終わらせる」よりも、「引き継ぐ」こと。
「無にする」よりも、「再び生かす」こと。
もしかしたら自分にとって解体は、“ゴール”じゃなくて“通過点”だったのかもしれない。
だけど、この通過点で得た経験や問いこそが、これからの道を照らす光になる。
◆ 最後に──好きじゃなくても、意味がある
好きな仕事をしている人は幸せだと思う。
でも、好きじゃないかもしれない仕事でも、意味を見出せたならやる価値はある。
むしろ、自分の中に湧いた「違和感」や「問い」こそが、新しい事業や仕組みを生む起点になることだってある。
だから、たとえ今「解体が好きじゃないかも」と感じていても、それは“逃げ”ではなく、“進化の途中”かもしれない。そう信じて2025年も残りあとわずか頑張っていこっ。
