※あの災害を思い出したくないという方は,読まないで下さい。
注意)長文です。
記録のためにブログで残しておくものです。
同情をを誘うものではありません。
ここに出てこない支援者の方々にも,当然感謝の気持ちでいっぱいです。
誤字脱字・不適切な表現がある場合は,ご指摘いただければ修正あるいは削除いたします。
===========
7月8日早朝・・・水が引いてきていたので,周りの様子を見に動いてみた。
が,浸水は続いていた。



電気も水も無いが,とりあえず事務所を片付けて,活動拠点を確保しよう。


とりあえず,建物から道路にゴミを出す。後のことは,それから考える事に。
あっという間に泥だらけ,汗まみれ。

心配した職人が駆けつけてくれて,100人力。
応援を頼みたいが,業者は災害復旧でそれどころじゃないし,皆被災しているはずだから,とりあえず自分たちでコツコツやっていくしかないな,と覚悟を決める。
心配してくれた人たちが電話をくださり,遠くからも駆けつけてくださった。
厄介なのは,ゴミより泥。
濡れていると非常に重い。
乾くと,決め細かい粒子がちょっとの風でも舞う。川から流れてきているし何を含んでいるかわからない。
目や喉が痛くなるから,マスクとゴーグルとか言われるが,この酷暑で逆につらい。

事務所の泥下かき

計測したところ,床から100センチ(1m)。1Fの地面から3m。


当たり前ですが,なかなかきれいになりません。

遠くから来た知り合いが,通りかかって惨状を見て,少しなら水があると,助けてくださいました。

流石に,きれいになっていきます。水のありがたさを感じています。

自転車で三原市内からわざわざ水を差し入れに来てくれました。何年ぶりかに会いました。ありがとうございました。

この頃は,水を分けてもらえるのが一番ありがたかった。

その間・・・実は,電気は早く復旧していました。
ところが,工場の関係で高圧を引いているので,キュービクルが浸水し電気は完全に使えないままでした。
いち早く,電気屋さんが駆けつけてくれて,漏電探し+キュービクルの復旧をしてくださり,数日後にはとりあえず事務所の電気が使えるようになりました。

三原のみならず,至るところで工事を進めている中で無理してもらって感謝でいっぱいでした。
加えて,「こぎゃあに暑いのにクーラーなかったら死ぬで!とりあえず一個つけとかぁ」と,エアコンを探してきてつけてくれました。
人は,ひとによって生かされている事を感じずにはいられませんでした。
おかげさまで,涼しい事務所で休みながら,作業を続けることができました。




とはいえ,倉庫の中は解体するしかなく,何十年と積み上げてきたものがゴミとなっている状況は,かなりきつい。
事務所の中も,何度洗っても拭いても,細かい砂が湧いてきてきれいになりません。
それでも,繰り返しモップや雑巾をかけて取り除くしかない。
三原・本郷の惨状が徐々に伝わり・・・
三次の知り合いの社長夫妻が,通行止めをさけながら,水を200Lタンクに入れて持ってきてくださいました。
世羅の知り合いの社長さんが,通行止めを迂回しながら,バックホーを持ってきてくださいました。
ありがたい・・・これで作業が捗る!


窮状を聞きつけた知り合いが,差し入れを持ってきてくださいました。
災害ゴミの一時集積所が決まり,なんとか無事だったダンプでいよいよ運び始めます。



多くの方々がゴミを運んでおられました。
毎日,ゴミを運び,泥を運ぶ・・・の繰り返し。

井原からも水の差し入れに来てくださいました。

福山や尾道からも後輩が,休みを利用して助けに来てくれました。

この看板が流れ着いてるということは,上流は大変な事になってるのだろうと思いましたが,自分の事で精一杯。

少し上流にあるコープのパレットが流れ着いていましたが,コンクリートの壁で浸水防止されてるはずなのに,なぜ?
後で知りましたが,壁を超える水の量だったとのこと。

リース会社からの電話で,洗浄機が1台空いたとのことで,借りました。
水は,友人が生コン工場と話をつけてくれて,山水を分けて貰いました。
タンクは,三次の知り合いの社長さんから借りているもの。
本当に,皆様のおかげで復旧が進みました。

知り合いが船木で被災されていて,泥がどうにもならないと聞き,半日づつ何軒かだけでしたが,洗浄機を貸しました。
水は生コン屋さんで。
うちもそれどころじゃないのですが,こんな時こそ助け合いは必要。。。できる範囲で少しだけでも。


東日本大震災のときに作られたマグネットに書き足して,トラックに貼って走りました。

倉庫の中の泥を測ったところ6~7センチなので,敷地全体の量を概算して,ダンプの容量で割ると,150~200杯で大方目処がつきそう。
と考えたのですが,甘かった。

差し入れをいただきました。ありがとうございました。

仕事で忙しい中,役立ててくれと,先輩の鉄工所さんがタンクを持ってきてくださいました。

福山や三原の瓦屋さんも応援に来ていただきました。
友人知人,FB友達等など・・・本当にたくさんの方々にお礼を申し上げます。


京都からバイクで応援に来てくださいました。
電話では,道路の状況もわからないので,来ないように言ったのですが,いても立ってもいられなかったからきちゃいました・・・って。
酷暑の作業の後の帰りを心配してましたが,無事でなによりでした。


バーベキューの1級インストラクターの隊長が,何を手伝いましょうか?と来られたので,肉焼いて!とお願いしました。
直ぐに帰って用意して,来てくださいました。
皆さんバテバテでしたので,この日は夕方からくつろぎました。
美味かった。生き返った心地でした,ありがとうございました。



道のアスファルトがガタガタで,しかも車が通るとホコリがすごく,擁壁も崩れていたのですが,改修が始まりました。



三原に大勢のボランティアが入っている話は聞いていました。
市議会議員の先生からボランティア派遣の問い合わせを頂いていたのですが,「自宅を被災され住むところのない人を優先し,もし何人かでも余剰人員があるようなら,お願いします」と,強がっていました。
しかし,狭い倉庫の片付けにどうしても人手がいるようになったので,週末のボランティアが多く入る日に何人か一日だけ応援お願いしました。
リーダーが的確に支持され,連携もできており,手際よく,そして暑い中なので作業時間と休憩時間をきっちりとり,プロ集団に見えました。
復旧が進んではいたのですが,まだまだ先が長い・・・どころかいつ終わるかわからない状況なので,復旧が終わるまでは,ゲン担ぎでひげを剃らずにいました。
実は,6月末に県議会議員への立候補を決めていましたが,その直後に被災。
この先が見えない状況で,出馬はありえない。応援すると言ってくださった方には申し訳ないが,辞めよう・・・と考えていました。

この西日本豪雨災害が激甚災害に認定されたので,いろんな支援策が国により提示されました。
企業に対するしえんとして,グループ補助金があると商工会から電話をうけ,「経済産業省から支援員が来ているので,会社に説明に行きたい,NHKの取材もある」とのことで,直ぐにOKしました。
実情を話し,説明を受け,質疑をし,「もしかして,助かるのか!ありがたい!!会社はなんとかなる」と,この時は思ったのでした。
この時は,このグループ補助金にあれほど悩まされるとは思いもしませんでした。
泥が乾くと細かい粉塵になり舞い,目や喉が痛くなるので,マスクとゴーグル・・・しかし熱くて地獄。
つけてもつけなくても・・・最悪でした。

そんな中,1000Lタンクや水中ポンプを笠岡から持ってきてくれた同級生や,大型の洗浄機やミニバックホーを貸してくださった電気設備会社の社長さんの支援をうけ,復旧も加速・・・のハズが,なかなか思い通りにはいかないもので。

グループ補助金自体は良い制度なのですが,きっちりしすぎていた為,こちらの思い通りにならなかった話は,次回。
今回の災害で,妻が本当によく動いてくれました。たのもしい。感謝。
まだまだ続く。