「慣れ」ってのはいろいろな面白いことがあるものです。
感覚の「慣れ」はよく経験します。
学術用語では「順応」(adaptation)と呼びます。
これには感覚刺激を感じる細胞の「指向性」と、
「疲労現象」の二つが重要です。
一度、ある感覚への指向性がある細胞が感じると、急に感度が落ちて、しばらくは回復するまで反応しなくなるのです。
暗いところで、強い光を浴びせられると、
しばらく「盲目状態」になるのも、強烈な現象としての視覚の感覚細胞「慣れ」です。
たとえば、自分の体臭はわかりにくいもの。
それは、じぶんの体臭を嗅覚を感じる細胞が、反応しなくなるから。
たとえば、マスクをすると、急にじぶんの口臭を感じたり、
風呂に入ったあと、脱いだ服の臭いを感じるなどを経験しますが、
それは感覚細胞の感受性がリセットされるから。
朝、病院に出勤すると「病院の匂い」を感じます。嫌いな臭い。
閑話休題。
「セント・オブ・ウーマン」はアルパチーノの佳作で大好きですが、
目の見えない彼が、香りで正確に当ててゆく。
「嗅覚」は鼻腔の上壁付近にある感覚受容体で感じるのですが、
記憶との関係で有名な海馬とは嗅内質を介して、五感の中枢の中では一番近いところにあります。「嗅覚」は五感のなかでは本能と一番、直結もしているのではないかと僕は思っています。生存とか、じぶんの「縄張り」を示すとか、たいへん重要なものです。
有名な話ですがサケは生まれ故郷を「臭い」で探り当てます。
誰でも「懐かしい匂い」はあるでしょ?
たまに、その匂いを嗅ぐと、
昔のいろいろなことを思い出しませんか?
ものを見る時、自分たちには気づかないことが起こっています。
ものを見る視細胞には3種類のものがありますが(ずっと桿体、錐体細胞のふたつが主役でしたが3つ目のものは、2,000年頃に見つかったばかりの細胞で概日リズムなどに関係深く、「内因性光感受性網膜神経節細胞」と呼ばれています)。
さて、錐体細胞は字を読むとか視力検査。色の識別で能力を発揮します。この錐体細胞にも「慣れ」の現象は起こっています。
そうならば、何かを凝視するのは困難になると思うでしょう。
ところが、自分は気が付きませんが、目は微小な動きを続けています。脳幹にある目を動かす神経が、目自体とコラボしているのです。
たぶん、その「揺れ」の調整には大脳か小脳も関係しているのでしょうが、最近の文献とか読んでいませんのでスミマセん、
その微小な動きで、視る細胞を変えっこしながら「慣れ」による視力の低下を防いでいるのですね。
なお、目の動きと脳幹のコラボで重要なことがあります。耳の深いところにある三半規管も一緒になって、「視線を保つ」働きです。
本を目の前に置いてみたら分かりやすい現象があります。
頭を、左右に振ってみても楽に本を読むことはできますね。ところが本を左右に動かすと、とても読むのは難しいです。目と三半規管と脳幹の眼球運動に関係した神経のネットワークが成しうる「技」なんです。 これは眼球頭位反射(Oculoxephalic Reflex)と呼ばれています。意識障害の診断などで、この反射はとても大切です。
「慣れ」は生活でもいろいろありますね。
好い「慣れ」(つまり習熟)もありますが、悪い「慣れ」もあります。
新しい仕事を始めたら、しばらくしてから、よく大きなミスをしやすいものです。
病院のリスク管理の仕事をしていていても痛感します。
「正常性バイアス」なんかの関与が大きいとは思います。
「慣れ」について、思いつくまま、大雑把すぎることを書きました。
いろいろなことを、ひとつの言葉で関連づけて考えてみる。
これも、「遊び」なもんで、ごめんちゃい。
(追記)
昨日の夕方、一人の患者を看取った。
今案でに数百人、いや1000人以上の死を看取った。
一人一人の人生は様々、そして家族の思いも様々、
人が亡くなってゆくことに、慣れることは僕にはできない。