人はいろいろなことに執着するものだ。

 

 僕は縁によるというか、いろいろな疑問(問題)に気づいては、

自分を持て余すことが多い。

遊ぶ人 Homo Ludens だから仕方ないことです。

 

 疑問への答えを(仮説でもよい)求めることに対しては、なかなか諦めない。分からないまま何年も諦めないこともある。

実は、それも生きていることの面白さだと思う。

 最近は生成AIを参考に使うことはある。

 とくに仕事では、相手の命や生活の質がかかっているのだから諦めない。仕事での疑問は急かされることばかりで、専門領域以外では最近、生成AIをけっこう利用しています。

 

しかし、世界の全ての疑問や問題に「解」やら「解決法」があるわけじゃない。

どうしようもない壁やら、

踏んでいるこの地面が繋がっていない「彼岸」は存在する。

こりゃダメだと気づけば、その場からいったんは立ち去る。

 

人のいのちに関わることでも同じ。

大往生はいのちを顕らめることが大前提だと思うようになった。

すなわち、

人間が明らめ、顕らめることの身体面では、

「老い」がその代表です。

 

 

明らめるべきことに執着することは、

苦しみとなるだけで、業(ごう)になると思う。。

 

ただ、

一般的には「諦めるな」と言いたくはなる。

 

ただ、

明らめることから、新しい生き方が展開することはよくあるかな?

 

             「ひまわり」の画像を借用

 

あと何年生きられるか分からないけど、僕は宇宙から地球を眺める

夢を諦めていません。

 

 

なーんちゃって、グダグダ書いたけど、「なるようににかならない」

と同じこと。

人は人、自分は自分。

 

ケセラセラ

 

追記)

諦められてしまったことが、あとから可能性が示唆され、さらには実現化されてしまうこと。それも何百年もかけて。

これも、人類の歴史にはたくさんありますね。特に科学の世界では。