近代物理学はニュートン力学から始まり、相対性理論、さらには素粒子物理学が混合、併存しています。

それぞれ、人間の大きさに近いレベルから、マクロへそしてミクロの世界を主場としています。

それらは四つの力の統一理論が確立したら、物理学は完成するという向きもあります(ありました)。

しかし、そんな簡単なものでしょうか?

メタバースの理論やらインフレーション-ビッグバンを否定する仮説さへ出ています。


僕の唱えた意識の定義とか、生成過程、「我感じる、ゆえに我(意識)あり」、心-意識の曼荼羅もシンボリックに描いた仮説にすぎません。


教科書、ましてやメディアの情報は仮説で満ち溢れています。嘘もたくさんあります。

仮説とはいえ「近似値」のようなもので、近視眼的には現実に合ったように見えているだけなのです。

さらにいえば、文明とか価値観なんかには絶対的なものはない。元となるものが人間の仮説だからです。

その仮説は社会を構成する力にもなります。

そして、利権や権威も生みます。


釈尊もキリストも、過去の自分が崇め奉られた状態をみて良い思いをするでしょうか?

もしもそうであれば、釈尊もキリストも運の良い「俗物」です。


自分がここに書いていること自体が仮設。

本当に絶対的なものはない。

わからないけど、いろいろなものが関係しあって存在している。ただ、そんなものだとというのが僕の本音です。


じゃあ自分自身の存在はどうなのが。仮象なのか? うーん、存在というより「実存」というレトリックで逃げときましょう。



ごちゃごちゃ考えるより、そんな淀んだ思念の世界からスカッと抜けてみたいものです。

散歩するもよし。絵を描いたり文を書くのもよし。仕事に静出すのもよし。生き物を育てるのもよし。  

旅は最高。 どこでも旅はできますもんね。たとえ、畳一枚の上でも。