左右の定義の話から鏡の世界に入ってきたのですが、

重要なことを忘れていました。

学生時代の生理学で教わったはなしです。

 

    逆さまの世界 眼鏡の金剛より

  上下・左右が逆さまに見え眼鏡(プリズム式)

 

調べてみたら、いくつか市販されていました。

17万円弱での値段です。

 

この逆さ眼鏡をすると、一週間くらいだったか、人間は慣れてしまって、普段の世界が見えて、ふつうに生活できるようになります。

そして慣れたあとに眼鏡を外すと、また世界が逆さまに見えてしまいます。そして数日すれば元の状態に戻るのです。

 

実は普段、我々が見ている世界は、網膜では逆さまに映っています。

それを大脳のレベルで修正してふつうに見えているのです。そのプロセスで右の視野半分は左脳へ、左の視野の半分は右脳へ伝わります。

そして脳では左右上下の視野情報の変換を行いながら、脳梁を介して

左右半分ずつの視野を合わせて、「見えている視野」を完成させているのです。この脳梁を介した視野完成は上下左右の変換の前に行われているようにも思えます。「左右失認」とか「失読」なんてゲルストマン症候群での症状や半側空間無視、相貌失認などの高次脳機能障害はその糸口になりそうです。矛盾点もありそうなので、調べなおして自分で考えてみます。

 

つまるところ、左右、上下なんてものは、脳が作り出しているものだということなのですね。

 

鏡を見ているのは短時間です。

実際に、左右が逆さまに見える状態が続くと、ふつうに見える。

つまり、鏡の世界は脳がそのように見ているのであって、

眼鏡をつけるかたちでずっとそのように世界が見える状態になれば、

ふつうに見えるようになるのです。

 

鏡の中の世界は、脳の認知機能が作り出していたのですね。

 

でも、自分でそんな眼鏡をかけてみないと納得できないところはある。 買ってみるかな? どこかの心理学教室から借りられないかなあ? 仕事も2週間くらいは休まんと、危なくて体験できんです。

視覚が左右逆になると、ステレオの音楽の左右の聴こえ方はどうなるのだろう?

 調べたら、同じようなことを思いつく人はいるもので、聴覚も触覚も同様に「適応する」ようですね。けっこう古い論文です。これは論文(article)というよりはエッセイまたは「総説」で長たらしいです。拾い読みで充分。 論文読みに慣れていない人には「拷問」かも。

 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/sjpr/21/4/21_315/_pdf/-char/en

 

なお、生まれつき目の見えない人は視覚では左右や上下の感覚を得ることはできません。 触覚と聴覚で左右の感覚を獲得できるのでしょうね。 

「視覚」は左右の認識では「最強」であることは確かであるようです。瞑想での「感覚遮断」の理屈でも同じです。

 じゃあ、左目と右目の見え方を逆にしたらどうなるのかなあ?

利き目なんかが関係してくるのかも知れませんが、自分で実験するわけにもいかないので、

「鏡の中の世界」はこれ以上は進めません。 これで終了。

 

なお、複眼の昆虫とかいますが、自身には世界はどう見えているのだろう? そんな眼鏡を作ってもらって実験したくもあります。

意外と、広角ですがひとつの世界に見て来るもかも知れません。

 

 

しかし、やっぱりわかりません。

「左右の明晰な定義はあるのだろうか?」