ギリシャ哲学では世界は、「土、水、空気(風)、火」から成ると考えられていました。各人によって少しの差はあります。

なぜ、このように考えたのでしょうか?

世界を観察して、感覚的に考え付いたことなのです。詳細は省きますが、アリストテレスの考え方とか面白いし、感覚的には納得感がありますね。

 しかし同じ頃、デモクリトスのように、その頃にすでに「原子」を帰納的思考で考えついた人もいました。

 面白いことに、佛教でも全く同じ4つのものから世界は成り立っていると考えられていたようです。

 

 「感覚的」な思考は、結局は人間の認知機能が作り出すものです。

 

その後、人間は様々なテクノロジーを手に入れました。望遠鏡とか顕微鏡、時計、分析化学、様々な観測機器、そして「実験」という手法など、「仮説を立証」する手立てを得ました。

 

 そして、「知的」な思考の進歩は物質観を根本に変えました。

その進歩の途中で例えば「エーテル」なんてものに迷い込んだりもしましたけどね。

物質(エネルギー)、空間、時間が主役を担うようになりました。

この3つは確かに重要なのですが、そこにもうひとつ加わったように僕には思えてなりません。

 それは「情報」というものです。

 

例えばのはなし。

情報なんて、2つの部屋がつながていて片側が20℃、もう一方が0℃だったら、その違いも情報ですね。まあ、エントロピーの法則でいずれかは同温になるだろうけど。

確かに、我々がふつうに「情報」と思っているものは物質(エネルギー)、空間、時間が根本的なものではあるでしょう。

情報を獲得するにはエネルギーがいる。それが僕たちの常識です。

例えば、生物学の世界でも細胞レベルでもエネルギー通貨のATPが無ければ脳で情報処理はできないし、そもそも生物は生きられません。

 

ところが、19世紀になって生まれた量子力学は世界観を変えつつあります。一部の人には当たり前のことなのでしょうが「情報」は単なるそんな3つのものの産物ではないようです。

この僕の話は眉唾ものです。「説」のレベルです。

「シュレディンガーの猫」やら「量子のもつれ」なんてものは、3つのものからかけ離れて「情報」というものの独立性を示しているように思えます。

 なお、シュレディンガーの猫も量子のもつれも、僕は知識はあっても自信を持って理解はできません。

 

 世界には自分には知識はあるように思っていても、真には理解できないもので溢れています。 さらに知識のない世界は前回に描いてみた正円の図の考えに通じます。

 

 

そういえば、生命体でもDNA(情報)が先か、タンパク(モノ)が

先か? これも関連して難しいことです。とくにRNAワールドの仮説

が出てから混沌としてますね。環境の影響が大きいのは間違いありませんが。

 

 

思いつくまま何を書いたのやら自分でも分からなくなりました。

タイムシフトのゆっくり出勤。 暇つぶしはこれで終了。