前回の話の続き

 

 

このような図式を考えてみたのだが、しっくりとしません。

 

愛と憎悪、尊敬と蔑み、慈しみと虐め、嬉しさと悲しみなどを一括

して「情念」とすると、また別の心の世界が表われます。

 

 

 

「振り子」から「バランス」への発想の転換です。

人間というものは様々な情念に振り回されています。

そこで無関心、無為、無視なんてものがバランスを取るために存在しているという考えです。 ここには「思慮」もオプションに入れておきます。

 

 四六時中、人間は情念に満ち溢れているのでしょうか?

 マザー・テレサは「愛」だけに生きたのでしょうか?

 

 どんな聖人の心にも「天使」と「悪魔」が存在しないわけがないと

僕は勝手に思っています。それらは情念の世界でうまくバランスを取っているのでしょう。バランスが取れないと大惨事。

 

 情念の世界だけでは、心は疲弊してしまいます。

 「何も考えない」、「何もしない」といった対立するものを置くと

 バランスが取れてくるのではないか?

 

 「ボケーとしてることの効能」も有りじゃないかと。

 

 身体の自律神経でも交感神経と副交感神経がバランスを取っている

から、心身の健康は保たれています。それに似たようなもの。

 

 少なくとも僕のような凡人にはバランスを取ってゆく生き方しかできない。「無用の用」ならぬ「無用の要」もありじゃないかとも思います。

 

  そして、でーんと「」のみで生きられるのは、

              聖人の領域じゃないかと。

 

 

他にも心の中の「ブラックホール」なんてものも考えたりしました。

 

 

心を図示するなんて無意味。川の流れのようにみなすのが正解じゃないかとも思ったりしています。

いやあ、考えれば考えるほど、心の中は迷宮です