たとえばである。

モノクロの写真とカラー写真。

モノクロ写真には色はありません。

しかし、上手い写真家が撮ると、

カラー写真よりも、人の「動き」とか「情念」だとか、

あるいは風景に潜んだ何かの「質感」や「雰囲気」が際立ってくることがある。

 

「塗り絵」は元はモノクロの世界。

だからこそ、そこに「色」を発見して、色を塗ることができるのでしょうね?

 

僕は身長が今は179㎝ある。

そこから見えている世界に慣れっこになっているけど。

目の「高さ」を減じてみると、見えてくるものが違ってくる。

様々なモノを発見することもある。

 

何度も書いたことだけど、

瞑想は不完全な感覚遮断、つまり感覚情報の一部を捨て去ること。

すると、自分の呼吸や心拍を静かにしていても感じられてくる。

そして、心に生まれては消えてゆく「情念」、「心象」なんかも感じられるのです。

 

捨て去ることは新たな発見へとつながる。

ぶっちゃけて例えれば、大掃除ってのは捨てる行為。

邪魔なものを捨てれば、何かが見つかることはよくあること。

大酒飲みのころは床の掃除をちょっとしただけで、空き缶とか小銭

がよく見つかったものです。

これはただのダラシなさでもありました。

 

 

「出家」なんてのもその類い。 

家族や棲み処までもを捨て去るのです。

そこから発見の旅にでかけるのでしょう。

 

旅に出かけるは、好奇心で何かを探しに行くだけでなく、

仕事や生活、棲み処を。

一時的にせよ捨て去るという効用があると感じます。

 

インドの神様では

破壊神がいるから創造神が働くことができるのも同じ類。

その神はシヴァ神。 両性具有の神と書いたら叱られそう。

 

さて、この連休は部屋の大掃除をして、捨てて捨てて捨てまくろう。

ちょっと自分をシヴァかんといかんです。