様々な知識を拾い集めて、ちょっと自分なりに纏めてみるのはまだ広義のインテリジェンスの初歩。

 

そこで趣味的人間(オタク)として自分の世界を熟成するのも愉しくて素晴らしい。

僕はその傍をすり抜けて、社会と関わりのある戦略を練る方にも向かう。そこで「意見」というものが生まれる。

 

得た知識はできれば世の中に、子供や孫が幸せな世界になるように活用したいからだ。

 

ただ遊びで地球の裏側にまで出かけるのではない。

この世界をこの目で知るためだ。

 

むろん、趣味は趣味でよい。人は遊ぶ人。

でも自覚してほしい。遊びから世界を拓くこともできるのだ。

世界と、どのように関わるかは、個人の自由。

 

趣味的人間。

ビジネス的人間。

政治的人間。

寝そべり族。

 

どうであってもいい。

僕は、僕の生き方を選んでいる。

 

遊びもすれば、世界の裏の悪への戦意も持っている。

 

この世界は地道に日銭を稼いでやっと生きている人もおれば、

世界の裏側で巨額のカネを転がしながら、結託し、戦争などで人の幸福を踏みつけて、さらに儲けようとする奴らもいる。

 

許せないものは許せない。

 

守るべきものは守る。

戦うべきものとは戦う。

捨て去るべきものは捨てる。

 

そうやって、これからの人間の未来を少しでも良くしていきたい。

 

 

世界を支配する者は変わりつつある。

それは歴史をみればよくわかる。

 

21世紀になってからメガテックが加わった。

ハンチンソンの「文明の衝突」は今も価値がある本ではある。

しかし改訂が必要だ。

メガテックはもちろんDSなどのグローバリズム勢力の位置づけも

必要だ。

 

かなり困難な時代が進みつつある。

そういう世界で、どのように生きるかは、目覚めの程度次第。