特に、医師の仕事をしていると、

この3選択に迫られることがある。

「立ち止まる」は経過観察という方がいいかも。

 

いろいろと、患者の病状に気づかないなら「楽」ですね。

気づくから、

何か行動をする選択が増えてくる。

そして悩む。知識と経験がいくらあろうと悩むときは悩む。

 

僕は外科医じゃないので

手術のようなストレスはかからない。

でも、いろいろな患者がいて、さまざまな「施療」はする。

何かをするのが、本当にその患者の利益になるのか、

それとも不利益になるのかを、

考えるのだけでも判断が難しいことはよくある。

 

いつも、困ってしまったときに頭に浮かぶ言葉。

「卑怯なことはするな。」という父の教え。

父は商売人で大酒飲みであったけど、

嘘をついたり、保身で逃げることはしなかった。

母も「お天道様が見ているね」と言っていた。

 

仕事は一人でするもんじゃない。

ひとつの指示を出すと、それだけ看護師達の負担は増える。

彼女、彼らの言い分もある。

何か指示(珍しいとか、複雑だとかの場合)を出すときは、

彼女、彼らには、なるべくその「理由」を説明も話しておく。

疑義があればいくらでも納得するまで説明する。

行うことの意味とか意義がわかっていた方が、

患者の「安全」にも好い影響を与えるから。

 

患者を守ることは医療者を守ること。

医療者を守ることは患者守ること。

そんな信念があるから、仕事場全体の「安全管理」の仕事を引き受けている。

 

今、ガザの方で紛争が起こっている。

イスラエル軍では、末端の兵にまで、「作戦の理由」を教えるとか。

ふつう、そんなことは軍隊はしない。

機密漏洩で、自分たちが不利になったりするから。

しかし、部隊が壊滅的打撃を受けても、最後まで継続はできる。

そこには、信頼関係と兵士の知性やモラルも要求される。

医療現場も戦場も似た面はある。 いのちに関わるゆえに。

 

「撤退」をするとき、一番、話しづらいのは家族や本人。

そういうときに「説得力」が要求される。

もちろん前述したように、

他のスタッフへの「説得力」も要求される。

「撤退」にしろ、最終判断をするとき、

父や母の言葉が僕を励まし、守ってくれる。

父も母も、僕のこころの中で生きてくれているから。