僕自身が、

面白いことを探求し続けてきたもんで、

僕がいう「面白い人」とは、

最高の誉め言葉でもある。

 

とはいえ、

「面白い人」は、

自分自身で感じ、

自分自身で考えて、

何かを伝えてくれる人であることが必要条件。

伝える方法は、文章、行動、他、様々な自己表現。

 

自分で考える人は、

面白いだけじゃなく、

概して「誠実」だ。

自省もするからだろう。

例外が無いわけじゃないけどね。

 

「誠実」さとは「正直」であるだけじゃなく、

「他者への気遣いを忘れない」こと。

自己主張しながらも、人の話を真剣に聴く人。

 

そういう人と「会話」すると、SNSであろうと、

その人の輝きが感じられる。

自分自身の「肥し」にもなる。

 

誰でも光輝く者になることはできる。

暗い海底であろうと、

青空で、お日様の光を浴びていようと。

 

自分で感じ、

自分で考える人は光輝いていますね。

自分自身については、その「光」があるのか否かは、

与り知らぬこと。どうでもいいのです。

 

 

知識とか、経験とか、世の柵(しらがみ)が、

いくらあっても、

それに縛られない心の自由さ。

それこそ大切な心の宝のひとつ。

 

もちろん、「悪しきこと」も、

人間は考えつくものだ。

僕の心の中でも「悪しき心」が生まれている。

それは事実だから、肯定するしかない。

「奢り」、「憎しみ」、「さぼり」、「自己否定」...... 

切りがない。

 

だれでも毎日500個の癌細胞が身体の中で生まれているが、

幸い免疫システムが殆どを除去してくれている。

「悪しきこと」のほとんどは放置しておけば消えるもの。

それこそ無常の摂理。

 

しかし、

「悪しきこと」に拘ると、本物の心の「癌」になってしまう。

 

自分の心の中の「癌」が成長したときは、どうするか?

戦うのか、スルーしてしまうのか。

それとも、酒や薬やギャンブルなどでごまかすか。

僕は、酒で「生き辛さ」を消そうとして大失敗した。

まあ、その大失敗で死ぬことなく、

良い方向にリセットできたけど、これはギャンブルと同じだ。

ロシアンルーレットとも対比できるような。

 

 

先ずは、よく観察(内観も含む)して、

自分で考えて、対処法を決断すればいいこと。

決断する前に、「癌」が消え去っていることはよくあるよ。

 

臆病者であることは構わない。

いや、その方が守るには重要なこと。

しかし、卑怯者にはなるな。

 

そんな心の柱?軸?原理原則?を持とう。

これは、できそこないの僕の観念論。

 

 

ありゃ、

生きることを、

また、抽象的に考えすぎていた。

 

自省