自戒を込めて。

 

 

いろいろな人の心象を描いた文を読むと、

 

言葉の森をただ迷ってっているのだなあ

 

と感じるような文に出会うことがある。

 

ひとつの言葉は一本の木のようなもの

 

一本の木が気になると、

 

その周りを彷徨って、

 

何度も、その木に戻ってくる。

 

彷徨うのは森のなかの一部分。

 

これは、言葉という一本の木に捉われた人間の姿。

 

言葉に操られた人間の姿。

 

「救い」、「主義」、「べき論」、「こだわり」、

 

そんな風景にも見えてくる。

 

森を歩くのは、

 

森を愉しむことだけじゃない。

 

森の地図を描くようなものだと、

 

僕というヒトは、森を彷徨いながら、探検する

 

     尾根道も楽しいけど藪漕ぎも楽しい

 

一本の木に捉われることも、こころ鎮まることはあろう。

 

そこには群れる人もいるだろう。

 

そんな安住さ。それはその人たちの狭い自由。

 

 

だけど、僕には、物足りない。

 

 

世界はなるべく広く知りたいものだ。

 

ひとつの森にしても、

 

様々な表情がある。

 

森の奥深くには、ぽつんと、

 

見上げるような神々しい木があったりする。

 

日陰には、愛しさに溢れた花も咲いている。

 

 

森の中にはもっと、もっとたくさんの木があり、

 

岩や小川の他に、様々な生き物が棲んでいる。

 

それを知らないでいるのはもったいない。

 

 

 

この文は暗喩である。

 

森には、森の彷徨い方があるというだけの一つの考え。

 

僕の勝手な森への想い。

 

  山の向こうに山がある。どれもそれぞれ世界がある

 

 Seltsam, im Nebel zu wandern!  Hermann Hesse