同じ図を何度も使ってしまうが説明に必要だから再掲した。

  意識の成立には様々な感覚入力が必要であることは既に書いた。

  意識が成長して確立し、さらにその機能の保持のためにはには感覚入力が必要である。

  感覚入力は最初は単純な五感であるが、脳に存在する意識の場には、次第に言語情報など、

  高度な入力情報も増えてくる。

  それらの感覚入力は記憶というものになって脳に蓄積されてゆく。意識はすなわち記憶と強く結びついており、

  それゆえ自己というものが継続して存在していると感じるのだ。

  昨夜寝て今日目覚めたとき、自分自身は同じと思うことがそのこと

  をよく表している。

  

  意識と記憶は強く結びついている。ならば、意識に階層性がなければどうなるのかと考えてみれば、

  その結果はどうなるか?

  記憶している全てのことが溢れ出て、意識の機能は大洪水状態に溺れてしまい、

  精神機能は全く途絶してしまうだろう。

  それゆえ、脳の実機能を維持するために意識の階層性ができあがったものと考える

 

  フロイトは「無意識」という概念を提唱したが、それは意識の深層部のことを言っているに過ぎない。

  「意識」の他に「無意識」が存在するという、脳の機能的な利点は全くないのだ。

  深部から表層までの連続した構造で考えた方が機能的であるし、無理のない自然さがある。

  

  夜目覚めたとき、急にあることを思い出したり、考え続けていた問題が閃くように解けたりする現象は珍しくはない。

  湯川秀樹が、枕元にノートを置いて、夜に目覚めては難問の解を思いついて記録した話は有名である。

  ある元解剖学者は、「脳は寝ているときに一度、精神機能を休止して、脳のリフレッシュを行っている。」

  ようなことを言っていたが、それは誤謬である。

  眠っている時も、脳または精神機能は動き続けている。意識の深層とか自律神経中枢などは機能し続けている。

  脳は生きている限り、連続性を持ち続けるのだ。

 

  起きている時と眠っている時では、感覚-情報の入力量は全く異なる。

  余談であるが、覚醒時に脳波検査を行っているとき、

  開眼した状態から閉眼したときに脳波は大きく変化する。

  開眼したときの速波(β波)は閉眼すると遅い波(α波)となる。

  それだけ視覚情報は脳に負荷をかけているのだ。この話は「瞑想」にも関連してくること。

  脳は寝ている時に、精神機能を止めているのではなく、

  リラックスしている(とはいえ意識の深層では思考や記憶の整理も行

  っている)と考えるのが妥当だと考える。

  短期記憶を長期記憶のメモリーに入れ込むのは、主には睡眠時であることは常識化している。

 

  まとめると、意識という場が層構造であるのは、その構造自体を守り維持するためである。

  意識の深層部は睡眠時も機能しており、大変重要な思考の場を与えている。

  意識という場があってこそ、記憶や思考が成立するのだ。

  

 

  

 

  脳という器官に