60年近く、人間の「意識」について考えてきました。

 

この文章はこのブログを書き始めた原点に戻って、途中の「まとめ」

として書きます。

 

「意識」というものの定義または本態は、「自己と他」を分けることができること。

そして、「感じる、ゆえに我あり」という言葉に行き着いて

5年以上経ちましたが、

この考え方は変わりません。

 

医学的な専門上、多くの意識障害の患者さんを診ました。

さらに解剖生理学的に、意識というものが脳幹-視床-大脳に投射するようにして成立する、脳幹網様体賦活系を証明する実例は数百例を経験しました。

      時実俊彦 脳の話1962年より

 

 

「感じる、ゆえに我あり」という考え方は自分自身で思考実験を行い、演繹する方法も使って考えを「強化」しました。

「感覚遮断タンク」という実際に存在する器械を、

もし、受胎した時から人間に使用出来たらという思考実験です。

 さらには発生学では皮膚は外胚葉ですが、中枢神経はその外胚葉が

内側にくびれて、体内に取り込まれるようにしてできることは、

関連する重要事項です。感覚器官の多くは外胚葉由来ですからね。

 

 

この図は何度も出しました。

感覚が意識の成立をもたらすことの説明と、出来上がった意識の姿です。

 意識は多層性の動的構造も持つことを描いています。すでに書いたように、仏教哲学の「唯識論」も似通った構造を導き出しています。 フロイトが提唱した「無意識」に遡ること1500年前。

 話が逸れますが、「潜在意識」なんて流行り言葉は、この意識の構造に喩えれば「地殻」のレベルです。もっと深い「マントル」とか「コア」のことまで考えが及んでいるようには思えません。

 

この世界は大宇宙にしても、ほとんど全てはミクロからマクロまでの多層性のある構造(動的に構造は関与し合っています)でできているというのが僕の考えです。

 

 人間の意識の構造についてですが、これについては、5つのエレメントを使った、マトリックスとして表現できることも思いつきました。上に示した横割り的な構造に対して、言い換えれば下に示したような曼荼羅的な構造といったものでしょうか。

 5つのエレメントでは苦しみ以外は、遺伝子にその基本設計図が書き込まれています。

 

これは行動心理学的な考察から導いたものとして、「探求心」と「苦しみ」というエレメントを加えてみたものです。

 

 人間の「探求心」は、

ホイジンガーが唱えた「遊ぶ人] (Homo Ludens)にかなり影響を受けました。 人間世界の進歩にも堕落にも「遊ぶこと」がもたらした

影響はかなり大きい。

 

 「苦しみ」には「喜び」には無い属性があります。そえは、何かの苦しみを持つと、それは喜びのように一過性じゃなく、一部はずっと人間の意識のなかに「潜在」し続けて、心(あえて意識にしていません)に影響を与え続けるものなのです。仏教では「業」のようなものかな? つまり、5つのエレメントのうち「苦しみ」は「後天的」な存在エレメントなのです。

 

そして、これらのエレメントが動的に影響しあって、人間の心の活動があるということです。誰でも、自分の心を「内観」したら気づくことだと思っています。

 一般には本能というものは脳機能解剖的には視床下部あたりに、情は扁桃体あたりに首座があります。さらには、どちらも大脳辺縁系との関連がかなりあります。

 他のエレメントは脳全体で考えるべき存在のようには思います。

 

 脳機能に局在性があることは医学の一部門である、神経学者(Neurologist)がその基礎を長い年月をかけて見出しました。その後、20世紀以降にCT、MRI、fMRI(機能的MRI)、SPECTやPET、脳波さらには脳磁図、コンピューターシミュレーションなど、電気工学研究者や心理学者、霊長類研究者も参入して「脳科学」なる科学のパラダイムが一般化してきました。

 

 

心に限らず、世界は多層的です。そのことを理解する一番の源になるものは哲学であると思います。それがあってこそ、さらにミクロな世界の解析が迷わないで「進歩」があるのだと思います。

 哲学の下には「パラダイム」がありますが、「パラダイム」はときに崩壊して別の「パラダイム」に変換することもあります。

 

 意識の解明では「ニューロン至上主義」が主流となり、その工学的シミュレーションであるコンピュータ、さらにAIも開発されました。

 

 なお、これから量子論がどんどん「脳科学」に新しいパラダイムを造って行くでしょう。 

 つい最近、今まで不明であった全身麻酔薬の効果のメカニズムの究明では、ニューロンの樹状突起内での微小管で量子振動が関係している説が有力になってきています。

さらに、「ひらめき」、「虫の知らせ」は量子論が解明してゆくように思います。

 

 一度書きましたが、脳機能やら意識というものは、ニューロン至上の「ノイマンコンピュータ的」なものと「量子コンピュータ的」なもの相互の機能的結合で成り立っているように思えます。

 

 

 

蛇足ですが、約50年前に発明されたMRIは「核磁気共鳴」という量子力学の原理のひとつに基づいて造られたものです。

それと、主語なしに「感じる、ゆえに我あり」と書くことができる日本語は便利ですね。

デカルトの「われ思う、ゆえに我あり」は中学生の時に、考え続ける好いテーマをくれました。「われ思う?」そんなのは我がいることを前提にしている。おかしいなあ。 と中学生でも疑問を持たせたのです。 Cogito ergo sumというラテン語でデカルトは記載しています。

Cogitoは「思う」の一人称表現です。「不人称表現」があったら??