喘息の定期受診 | のらン家 病々介護中・笑って過ごせて案外幸せです

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2人の子ども(20代)とパパ ワンコとの平凡な日常。
息子はネフローゼ、娘は線維筋痛症・特発性過眠症などなど、私は重い喘息・うつ病にパニック障害
なんだか色々あるけど、のんびり笑ってます❤︎
闘病記メインで日記がわりに書いています。

先日、喘息外来の定期受診での記録


12日朝 息苦しさで目が覚め

その時点でSpO2が80%

そこからなかなか酸素が上がらず

約2週間低い状態が続いたことを報告


普段から発作時も排痰以外は咳が出せない(もうその力がない)のだけど

今回は排痰がなかったからか咳もなく

肩で呼吸する感じ

仰向けには寝られないどころか頭を上げるだけでは苦しくて座って前屈みになっているのが1番楽な状態

痰がないからかゼイメイもほとんど無し

ただ安静時で80%台

部屋から1番近いトイレに行くだけで息が上がり苦しい


受診を迷ったけれど

12日は振替休日で救急外来しかなく

受診しても…自分が処方されている諸々の薬と

息苦しさや息切れはあるけど、休み休みでも家の中の移動も自力歩行できているし

長年重い喘息と付き合ってきたから、80%位だと案外普通に近く話せてしまうので

これまでも激しい咳やヒューヒューなるゼイメイがない状態で酸素だけ低い発作時に受診しても

とりあえずルート確保して、動脈血採取して血液検査と、酸素マスクくらいしかできる事がなく

救急外来や外来の先生が皆さん戸惑っている様子をずっと見てきたので

(イレギュラーな処方が必要な私、発作時の頓服や吸入をしてしまうとそこにプラスしてできる事はほとんどない状態らしいです)


また、何をどうしたらいいのか?とぽりぽり戸惑っている先生に苦笑いする為に苦しいのに我慢してわざわざちょっとだけ遠い本院に連れて行ってもらうより

安静にしていたくなる


その週の喘息の専門医の先生(ずっとお世話になっていて私の状態を1番把握してくれている先生)の診察日に受診を迷ったけど(週に一度だけ家から比較的近い診療所で診察担当している)

その日はもうしんどすぎて診療所まで行くのもつらくてやめてしまった


そのうち、酸素低いとはいえ少しずつ回復傾向になっていたから様子見ながら増やしていた頓服薬分のプレドニンを少しずつ減薬もはじめた事

話ました


先生も 

本当は80%なんて救急車呼んでいい数値なのは当然として

アンタが受診を迷うのもわかる

これだけの薬を処方されていたら、救急でも酸素を入れてとりあえず1〜2日入院してもらうことになるけど 点滴やらは怖くて追加できないってなるよね


と苦笑い

酸素だけのために移動するのは逆にしんどいだろうし…

アンタは自分がこれは命に関わるって感覚的にわかるだろうし、そうなれば受診して欲しい


けど理由がわからない静かな発作は怖いなぁ

発作というか、『命にに関わるレベルの大発作の前触れ』かもしれんから

まだ今もちょっと家の中で移動するだけで息が上がる状態なら、せめてそれがおさまるまでは大人しく過ごしておった方がいい

苦しくて我慢するなら酸素入れたら一時的には楽になるで、遠慮せんと受診して

迷うなら自分の診察日に来るように


と言われました

きちんと言われた事は守らなきゃですね


実は…

私の亡き祖母も重い喘息持ちで長年苦しんでいました

ある夜、異常な足の付け根の痛みに歩けなくなり

私の従兄弟(力持ち)やら祖父やらに救急外来に連れて行ってもらい

レントゲンを撮ったのに…何故か大腿骨の骨折を担当したバイトの当直医は見落とし

明日まだ痛かったら、整形外科で受診して

と痛み止めだけ処方して帰されました

せめて処方した薬がシートに入っていたら、ナースだった祖母は絶対にその薬を服用しなかった

けど、まだ今とは違いお薬手帳とかもなく夜間だったから院内処方でパッケージがわからない形で渡された薬

祖母、痛みに耐えかね真夜中に服用し

翌朝 祖母は目覚める事はありませんでした


通常喘息患者には処方しない薬だったんです


翌朝ベッドで眠ったまま亡くなった祖母

自宅での死亡の為、調べられたりもしたのですが

普段喘息で診察していた医師が祖母の遺体を確認した際、枕元にある残りの薬に激怒


夜間受診した大きな病院に連絡し、カルテやレントゲンなどを確認したら

何科の医師でも見落としようがない大腿骨の骨折が

はっきり写っていて

喘息の既往歴も伝えた旨も記載されていました


医療ミス?医療過誤?でしかないのは素人にも明らか

高齢者である祖母の突然の死を誰の責任だと訴えたりすることを祖父はしたくない

ただ、受診に付き添った時の投げやりで放漫な医師の態度含め医療者として それを容認した病院として事故を起こさない対策はしっかり報告してほしいとだけ伝えたそうです


その病院からはお詫びの言葉とともに

やはりイレギュラーな治療が必要だった重い喘息患者だった祖母 他にも珍しい持病(喘息患者の中でごく稀に起こる物らしい)があった事もあり

大学病院から解剖 検体をさせて欲しいと通知があったという協力のお願いがあり


祖父や叔父たちは

祖母は戦時中から長年医療に貢献した人生だった

その人が、最後に医療に命を終わらせられた

じゅうぶん医療には貢献した、亡くなってまで貢献して欲しいと言うなら 医療ミスを正式に訴えます

と断ったと聞きました

祖母が亡くなったのは…私が息子を出産し 息子は治療の為退院できず私1人退院した翌朝の事

入院中の息子に搾乳したおっぱいを届けたり、急変時に備えてすぐ対応できるようにしなきゃいけなくて

私は県内でも反対側に住む祖父母の家に、無理を言って仮通夜の夜に1時間位だけ祖父母に会いに行くのが精一杯

今も大好きで尊敬している祖母なのに

お通夜も葬儀もでられませんでした


母方の祖母のこの哀しい出来事は…私たち遺族には忘れられない記憶です

そして、喘息の怖さもずっと見てきました

強い薬を長く必要としていると…骨も血管も脆くなるとか 他に影響が出ることも見ていたので

今の私の状況は…実家の両親や親戚にも心配をかけてしまっています