一人暮らしの気軽さから、寝たい時に寝て起きたい時に起きる生活です。食事も食べたり食べなかったりが多いのも事実です。

友達が『少し痩せたんじゃぁないか』と心配してくれます。そして、ある友達は『飯を食いに来い』と電話をくれます。

別の友達は、『これを持って行けと』食品をくれます。また、ある友達は車でやって来て『これを喰え』と食料を手渡します。


冷蔵庫の上の食料品全部頂き物
左から、お米・コーヒー・シリアル2箱・チキンスープ・スパゲッティ・シャケ缶・さっぽろ一番・インスタント麺・若布スープ。

そして、冷蔵庫の中はちょっとお見せ出来ませんが、ニワトリが一羽・豚肉が少々・シマシマの熱帯魚が六匹・卵2ダース・かぼちゃ1/4(元は大2個)、以上全部頂き物です。


私としては、日本に居る時と大して変わらない食生活のつもりなのですが、暑さのせいか痩せたのも事実です。

結果、皆さんに心配を掛けてしまっています。そして皆さんのご好意を頂戴しています。

年金暮らし(ペンションライフ)ですから、余裕が有る訳では有りません。皆さんの親切はとても有り難いです。

だから、帰国した時に日本の良い物、便利な物を買い集めて、お土産にしてあげたく成っちゃうんです。

実は、暮れに帰国した時に奮発して買い過ぎて、ちょっとピンチでは有りまして皆さんからのご好意には助けられています。

で今、冷蔵庫に在るトリの前に頂いたニワトリ(大)一羽をヅンドウ鍋でコトコトスープにしております。

材料は、トリ一羽・タマネギ・ニンジン・トマト・ブロッコリー・ニンニク・唐辛子ペースト(ロタ特産)・塩・胡椒・砂糖・だしの素(昆布)・カラマンシーレモンです。

トリを水から炊き、野菜を入れて、砂糖・しお・胡椒・だしの素を入れ、カラマンシーと唐辛子ペーストでパンチを出します。

     見た目は美しく有りませんが美味しいです。
  
        半分食べちゃいました。

3日目に成ると少し飽きて来ますので、醤油を少々たらしました。朝・昼・夜と火を通しています。野菜は形が無くなりました。

我ながら旨いスープです。

骨も柔らかく成り食べられますが骨は犬にあげます。

現在、我が家に犬が10匹おります。母犬2匹とパピー(子犬)7匹・青年男子1匹です。何故こんなに居るかに付いては後日。

チャモロの文化では、食べ物を勧めるのは最高のおもてなしです。友人や知人の家を訪ねると、まずお茶やコーヒーで無く食べ物が出て来ます。

その時、家にある物がさっと出て来ますので、煮物・焼き物・漬物・刺身、などが出て来てビックリする時が有ります。

そして水が添えられます。
食べ物のお持て成しもですが、この水がかなりのご馳走です。

ロタは、隣のグアムやサイパンと違い、水は素晴らしく良質です。水道の蛇口からミネラルウォーターが出ます。

それをボトルに詰めて売っています。名前はロタ・クリスタルです。地元でも人気です。

また、ロタリゾートの敷地内の工場では、LUTA・ゲルマニュウムウォーターをボトル詰をしています。サイパン・グアムで人気。



この水が地元でも売れています。

輸出も順調です。

LUTA・ゲルマニュウムウオーター工場

空気・水・海、共に最高です。

よく、『ロタは水はどうですか ?』、と聞かれますが『水道水がミネラルウォーターなんです』と答えています。

話がそれましたが、来客が来て食べ物が無い時などは、バナナやサワサップやアティス・マンゴー・パパイヤなどの果物が出ます。


そして、何も無い時はココナッツをカットして出してくれます。

ココナッツジュースをいただきます。

薄いポカリスエットの様な味です。

中の白い部分を削いで食べます。

醤油とワサビが有ればまるでイカ刺しです。

こうして、チャモロの人達の親切に囲まれて生かさせて戴いていおります。

もともと彼らの基本ににある原始共産制とカソリックの博愛精神が融合したロタ・チャモロ精神が形成されていると思われます。

まだまだチャモロ人には成れませんが、彼らの、生き方を参考にシンプルに生きたいです。



独断と偏見を基に、ロタ島での私が好きな場所と景色、好きな物をご紹介します。

ソンソン村から東へ2マイル(約3km)程行った所にポトスが生い茂る場所が有ります。

野生のポトス条件が良ければこんなに大きく成ります
ちゃもろマンのロタ日記
最初に見た時は鉢植と同じ物とは信じられませんでした


そのポトスがトンネルを造っています
ちゃもろマンのロタ日記
どこか別の島へ着た様に錯覚します


1944年3月防衛強化の為、陸海軍が進駐それまでロタ島には軍人・軍事施設は無かった。


ポトスのトンネルをくぐって約1/2マイル旧日本軍の大砲
ちゃもろマンのロタ日記
試し撃ちで一発、しかし実戦では使われませんでした


ロタ島では至る所に野生のあさがおが咲いています
ちゃもろマンのロタ日記
この控え目で静かな花が好きです


ザ・ロタブルー、バスクリンは入れておりません
ちゃもろマンのロタ日記
この下に、ゼロ戦や貨物船松運丸が沈んでいます


海からのウエディングケーキマウンテン
ちゃもろマンのロタ日記
ロタ島のシンボル&足元の海は透明度60mと世界有数



バード・サンクチュアリー、海鳥の聖域
ちゃもろマンのロタ日記
カツオ鳥やオオミズナギドリを始め海鳥の楽園
初日の出観賞ポイント、今年は曇りで残念でした



アス・マンモスクリフ、フィリピン海側の断崖
ちゃもろマンのロタ日記
このしぶきが結晶した自然塩がロタ島の新名物


ロタ・C CLUB、10番ホール17番ホール越しの太平洋
ちゃもろマンのロタ日記
友達はサイパンが見える私には見えない双眼鏡でも無理
野生児の視力6.0~8.0の世界 ?



椰子ガニ、とにかく旨い


今月いっぱいまで狩猟シーズン ?


ブレッドフルーツ(パンの実)


芋とバナナを足した様な味、主に焼いて食べます
このまま焼き芋の様に火の中へ


ハイビスカス、中でもこの花が好き


ハイビスカスの日本名は“仏桑華”

まだまだ絶景ポイントや美しい景色、綺麗な花や珍しい植物など沢山有りますが、次の機会にご紹介申し上げます。

私が最初にロタ島を訪れたのは約20年前、グアム・サイパンは誰でも知るメジャーな観光地、あまり観光客の垢の付いていない自然な島に行きたいと思いました。

調べた結果、距離・時差・アクセス・費用・治安などの条件にマッチしたのが、北マリアナ連邦・ロタ島でした。
ウエディングケーキマウンテン
ちゃもろマンのロタ日記
ロタを代表する景色、タイピンゴッド山

ロタ島が好きに成り(はまってしまった、と言う表現がぴったりです)年に数度訪れ、リタイヤ後は住みたいと考えておりました。

去年その思いを実現させ、シナパロ村に家を借りチャモロ人に成りたいと日夜奮闘しております。(ジャングルの一軒家でボーッとしてるだけ)

最初は只の観光客でした。通う内に友人が出来て片言の英語で会話をし、彼らの生活習慣や考え方や歴史に触れる事が出来ました。

そして大航海時代以降、欧米列強と日本などが、彼らの意図しない方向へと歴史を繰り広げて来た事を知りました。

日本も彼らの歴史に深く関わっている事を知り、語り継がれなく成った今、再度その歴史に向き合って観たいと思い、記事にしました。

グアム・ロタ・テニアン・サイパン・その他、北の無人島を含め、マリアナ諸島と言います。その内のグアムを除き北マリアナ諸島と言います。

マリアナ諸島に人が住み始めたのは、紀元前1,500年頃と推察されインドネシアやフィリピンなどから移住したと言われますが記録は有りません。

そして、その子孫をチャモロ人と言い、ミクロネシアの島々とも交流が有りました。

文献によりまちまちですが、7~8世紀頃にタガ王朝が始まり17世紀まで続き、都をテニアンに置いたと言われています。

昔テニアンとサイパンは一つの島だったと言う人も居ます。
(たとえば、伊豆七島の新島と式根島は昔一つの島でした)

ラッテストーン石切り場(タガストーン)跡
ちゃもろマンのロタ日記
なぜか切り出し途中で止めている

彼らは文字を持たなかったので、この石の使途はハッキリとはしません。しかし、インドネシアのボロブドール遺跡には、アウトリガーカヌーとこの石を土台とした建物の絵があります。

四角い石(ハリギ)を立てて並べ、その上に丸い石(タサ)を乗せ、床を張り、柱を立てて屋根を葺き、集会場や王族の住居としたと思われます。テニアンのジャングルに多数有ります。

余談ですが、日本では土台と土台に渡した木をハリと言います。頭に乗せるかぶり物をカサと言います。ポナペでは酔う飲み物をサカオと言いますが日本ではサケと言います。

この王朝は、スペインの進出による植民地化まで続きました。

1521年、マゼランが世界一周の途中に島々を記録、その存在を知らしめる。
1565年、スペインが領有を宣言、植民地とする。

スペインがキリスト教の布教を強行、チャモロ人との軋轢により内戦状態と成る。チャモロ人をグアム島に強制移住させる。

サイパン・テニアン・ロタは無人島と成る。ロタは逃げた者がわずかにジャングルで生き延びる。50,000人以上いたチャモロ人が5,000人程度に激減、多くの言い伝えなどが途絶える。

その後、約300年に渡りスペインの統治下に置かれ、キリスト教化し、混血が進みスペイン語が浸透する。

1898年スペイン  ×  アメリカ 戦争で敗戦、グアムをアメリカに割譲、ミクロネシア諸島をドイツに売却し賠償金を捻出。

1914年、ドイツ第一次世界大戦に敗戦。日本、連合国としてミクロネシア諸島無血占領。
1919年、国連から委任統治を受け、グアム以外の赤道以北の太平洋諸島が日本領と成る。
  前年、1918年にはロタ島に島民学校設置。

1922年、日本政府が南洋庁設置、東から ヤルート・ポナペ・トラック・サイパン・ヤップ・パラオ、にそれぞれ支庁を設置、ロタ島にはサイパン支庁ロタ出張所を設置。

1925年、南洋興発(株)松江春治社長、サイパンに製糖事業開始。サトウキビの病害虫など数々の困難を克服軌道に乗せる。

続いてテニアン島に製糖事業を展開し、サイパン・テニアンを合わせると東洋一の製糖出荷量と成る。

1935年、ロタ島に製糖工場完成、農園・鉄道・港湾の設備完了。製糖開始するが、土が合わずサトウキビの栽培に失敗。製糖カスによるアルコール醸造に転換、合成酒(ラム酒)をつくる。

併せて、燐鉱石採掘・ココア製造などを展開。

当時の南洋興発社宅住宅地図・再現図
ちゃもろマンのロタ日記
1944・6・11焼失以前の街

当時の軽便鉄道の機関車
ちゃもろマンのロタ日記
他にも北部のジャングルにもう一台の機関車が在る

1944年、3月防衛強化の為、陸海軍が進駐、それまでロタ島には軍事関連施設は無かった。
1944年、6月11日米軍の空襲により街が全滅、ジャングルに逃れ防空壕に身を隠す。

司令部と野戦病院が置かれた、洞窟(トンガ人の住居跡)
ちゃもろマンのロタ日記
右手が広く奥まで続く
1944年、6月15日米軍サイパン上陸、7月7日玉砕。続いてテニアンも陥落。この後、日本本土空襲が容易に成り、その頻度とB29の飛来数が激増する。

1945年、8月6日エノラ・ゲイが広島へ。8月9日ボックス・カーが長崎へテニアン島から原子爆弾を積んで発進し、8月15日の敗戦へと至ります。

無関係の島民も家を焼かれ、着の身着のままジャングルで生活し、食料がつき椰子ガニやトカゲ・カタツムリなどを食べて飢えを凌いだと言います。

小学校三年生で終戦、日本語が話せます
ちゃもろマンのロタ日記
右が友人の母、左はご近所の仲良しさん

当時、島民も同じ物を着て同じ様に生活をしていたので空からの攻撃に区別は無かったとの事です。同じ様に家を焼かれ、機銃掃射を受け、死んだり怪我をしたり犠牲に成って居ます。

それでも、チャモロの人達は日本時代は懐かしいと言ってくれます。良くしてもらったと言ってくれます。

日本人は賢かったと、日本人は正直だったと、日本人は良く働いたと、
日本人は親切だったと、そして日本人が好きだよ、と。

当時、差別が無かった訳では有りません。島民・日本人・朝鮮半島出身者・台湾出身者などで第一位を日本人・第二位を朝鮮半島・台湾出身・最下位に島民を置く厳然たる“区別”が有りました。

それでも彼らは、東日本大震災の後、約30棟程在る公営住宅をリニューアルし、日本人被災者に住んで貰うんだと、被災地に出向き呼びかけを行いました。これは台湾とロタだけです。

彼らは、お世話に成った日本への恩返しだ。と言うのですが、本当にお世話をしたのか疑問は残りますが、彼らの気持ちは有り難いと思います。
  バス・トイレ・キッチン・外装リニューアル済みの公営住宅
     ちゃもろマンのロタ日記x
あっあー、ただいまマヤクのテスト中 !。あっあー、ただいまマヤクのテスト中 !。 正月に誓いを立てた禁煙を続行中です。

噛みタバコは時々口にします。缶入りの噛みタバコを
一摘み、下唇と歯茎の間にはさみ込みます。噛んだり舐めたりはしません。

口にして少しすると、ジンジンして来ます。ニコチンが吸収されて行くのが分ります。これでしばらく喫煙欲求が無くなります。

もう一つ、現地の人が普通に噛んでいる、檳椰子を試してみました。これは、口の中が“クワーっ!”と成ってビックリします。

左から、檳椰子(ビンロージュ・Betel Nut )
次が、 石灰の粉(
珊瑚の粉・英名不詳
次は、ペッパーリーフ(Pepper )縦に割ったBetel Nut
一番右は、噛みタバコ(Tabako)

まず、檳椰子を縦に割り、そこに石灰粉を耳かき2~3杯程度擦り込み、ペッパーリーフを細く切って包み、これを歯で噛みます。

これに紙巻タバコを加える人が殆どですが、ニコチンの作用で血管が収縮し血圧が上がり目眩を起こします。酒の時等はNGです。

檳椰子の効用は、興奮・刺激・空腹感制御で、Nutに含まれる、Arecolineというアルカロイドの作用は、ニコチンと同様です。


    檳椰子          庭のペッパー

石灰粉はArecolineの抽出を助ける働きをする様です。ペッパーは、コショウ科の蔓性植物で噛むと胡椒の様な刺激が有ります。

効用は、フェノール・ベンゼン・テルペンなど揮発性成分を含み、健胃・去痰・歯痛・頭痛・関節痛・便秘・鼻づまり

母乳の分泌・虫下し・媚薬などとして古くから使われていた物の様です。味は胡椒を生でカジったらこんな味だろうと思う味。

そして噛んでいると檳椰子の渋くて苦い液が口に広がり、ペッパーの刺激がそれを和らげます。口の中が熱を持った感じです。

特に唾の溜まる下あごとベロの辺りが熱く感じ、痺れる感覚が強く成って来ます。頭がホンワカして来て肩こりが消えて行く様に

感じます。ここで気を付けたいのは、噛みタバコと石灰粉を口の中で分離して置く事です。一緒に噛んでしまうと急速に発熱して

口の中を火傷する可能性が有り要注意です。そして噛んでいると大量の唾液が出ます、かなりの刺激でガムどころでは有りません

この唾が問題で、町中では吐き出す場所に困ります。カンやビン
専用の容器を持ち歩く必要が有り、無闇に吐くと罰金も有ります

   これが私が吐き出した物の写真です。

檳椰子は以前、日本でも普通に嗜好されていた物です。

日本薬局方に麻薬と規定され、嗜好品として口にする事は違法と成りました。沖縄・奄美・小笠原には普通に自生しています。

私のツバなどをお見せしたので、お口直しに美しい花等を少し。


雄しべ・雌しべも花びらに変花したハイビスカス


クロトン、マレーシア原産、一年中赤い葉


愛車・ロールスベンツ・ロタグリーン

これが無いと何処へも行かれません。ちょっと雨の日はつらいです。最高時速80kmは出ます50ccだけど2ケツOK です!。


明けました、日本より一時間早く、紅白歌合戦の真っ最中、午後11時00分ロタは新年です。小笠原のほぼ真南なのに便宜上一時間早く2011年の強制終了&2012年の強制スタートと言う事に成りました。

ロタ島での年越しと正月の過ごし方を少し。ロタはカトリックの島です。スペイン時代からですから300年に成ります。ですから日本の様に仏教の基盤の上に在る正月行事の様な物は在りません。

まず大晦日は、比較的に若い人達でカウントダウンバーベキューなどのパーティが在ります。肉・魚を焼いて、料理・飲み物を持ち寄って、CDやギターなどを鳴らし呑んで歌います。紅白歌合戦はありません。

料理は骨付きの鶏肉を醤油ベースで煮たものや同じく牛肉・豚肉など、椰子ガニのココナッツミルク煮、コールスローサラダやポテトサラダ、スパゲッティやビーフン、パパイヤの漬物などです。

そして、午前0時を迎えます。ハイタッチをしたり握手をしたりし乍ら、『ハッピーニューイヤー』を連呼します。この時の単位は、家族・一族・一党など様々ですが、年寄り達の姿はあまり見かけません。

私は、ロタリゾート&CCのカウントダウンパーティに出席しまして、バンドの演奏・ダンス・カウントダウン・乾杯・打上花火と楽しませてもらいました。最後の打上花火が感動物でした。

1月1日は、正月ミサが各教会毎に開かれます。いつもの礼拝堂で行う教会や、海岸の公園や砂浜で行い、そのままニューイャーパーティに移行する教会など様々です。

そして、だいたいお昼頃には一連のニューイヤーに関する行事は終了します。

日本人の様に。今年の目標を決めたり何かを誓ったりと言う事は無い様です。
私は日本人なので新年にあたり誓いを一つたてました、それは禁煙です。

私はかなりのヘビースモーカーで、一日40本は吸います。ロタの友達も、『おまえは、チェーンスモーカーだ』と言います。吸う時は続けて2~3本吸ってしまいます。そして何よりお金がかかります。

ロタはタバコが高いです。一番安い物でも$4.5です、それを一日に二個です、つまり一日$9です1ヶ月で$270に成ります。そこで禁煙を誓いました。健康が理由では有りません経済的理由からです。

去年の暮れからタバコを吸っていません、もう一ヶ月近くに成ります。時々無性に吸いたく成る時が有ります。そんな時は噛みタバコを口に含みます、そして二~三分すると吸いたい欲求は無くなります。

口に含んだ噛みタバコのニコチンが粘膜から吸収されて、脳に達しタバコの吸引欲求は無くなります。
そして、このタバコを口に含む回数が少しずつ減って来ています。これが無くなれば成功ですが。

ただ無くならなくても火をつけて吸引するタバコよりは遥かに害は少ないと思えます。噛みタバコは煙やタールを体内に入れません、ニコチンを吸収する事には変わりませんが、発がん物質を吸引しません。

そしてなにより火事の心配が有りません(笑)。
そんな訳で私の今年の正月の誓いは、禁煙です。

勿論、完全なタバコ絶ちに持って行きたいのですが、第一段階として煙を吸わない禁煙と致します。
また、口が淋しい時にビートルナッツ(檳椰子・ビンロージュ)を噛むのはどうかを調査しました。

東南アジアやミクロネシアそしてマリアナ諸島で見かける、ドングリの様な椰子の実を噛んで赤い唾を吐くあれです。私も噛んで見ました、檳椰子(ビンロージュ)については次回ご報告させて頂きます。

ただしこの檳椰子(ビンロージュ)、日本では麻薬扱いで噛む事が出来ません。でも、東南アジア・ミクロネシア・マリアナ諸島では合法です。ただ公共の場で赤い唾を吐くと罰金の所も増えてはいます。

さて、皆さんは今年の努力目標とか宣言とか誓いと言う物はいかがですか。
何か目標を決めて向かって行く人、これをやると宣言して努力する人、神に仏に誓いをたてて実行する人。

不言実行は難しい、有言実行が凡人には良いのではと思います。
去年より今年、そして今年より来年へと BY STEP していきたいと思います。

今年一年、宜しくお願い申し上げます。


今回の帰国では、友人達への日本土産は刃物を中心にしました。
ロタは刃物事情が良く有りません。そのくせ刃物を大切にしないし手入れをしません。

文化包丁でチキンの骨を叩き切ったり、中華包丁の様な物で魚を三枚におろしてサシミを作ったり、サシミ包丁でヤシの実をカットしたり。使い方もメチャクチャで手入れをしませんと言うか手入れを 知りません。

で、打ち刃物 を友人達に、自分用には 砥石を、粗砥石・中砥石・仕上砥石・修正砥石、と揃えて持って来ました。刃物と石ですから重かったです。この砥石で定期的に島内巡回刃物研ぎをやります。

まず、出刃包丁を三丁・三徳包丁を四丁・文化包丁(小)を一丁・鹿解体用に剣鉈一丁・竹割鉈一丁・小型の鉈一丁・肥後の守五丁、以上です。

料理教室を開く友人の家の包丁が日本製のオールステンレスで、いただき物だと言う事ですが長年使い込んで切れなく成っています。砥石を当てましたが硬いステンレスで研げません。

おまけに鳥の骨でも叩いたのか、刃が二カ所曲がっています。出刃と文化包丁を一丁ずつ割り当てました。鳥の解体や魚の三枚と骨切りは出刃で、肉・野菜は文化包丁でと、使い分けを説明してから差し上げました。

ロタは刃物事情が良く無いと言いましたが、少ない刃物で何でもやって仕舞います。そして刃がボロボロに成っても使い続けます。ペティナイフで三枚降ろしからサシミまで作ったりします。

肉や野菜を捌くのは三徳(文化)包丁が便利なのでこれを多めに持参、出刃・三徳共に今回は、関の孫六で、ハガネを胴鋼で挿み込んだ打ち刃物です。ハガネは日本刀に古くから使われる白紙鋼です。

これを私に飯を食わせてくれる家にプレゼントします。そして美味しい料理を作ってもらいます。畑を借りている友人の所には、剣鉈(ハンティングナイフ)をプレゼントしました。

彼は鹿狩りの名手で、古いけど良く手入れをされたライフルで大きな鹿を仕留めて来ます。その時用にハンティングナイフ(剣鉈)を送りました。これで、止留め・皮剥ぎ・解体、全てこれ一本でOKです。

竹割鉈は、以前バーベキューの薪割りに使っていたのですが、ニワトリ(ワイルドチキン)の骨の切断に便利と言う事で、リクエストが有りパラオ出身の友達にプレゼントしました。

小型の鉈は自分用です。前回普通サイズの鉈を持って来て居たのですが、バーペキューの薪割りをしている時に気に入られて、是非にと言われ嫁入りしまして手持ちの鉈が無かったので購入し持参です。

椰子の実をカットして、ココナッツジュースを飲むのに小さめの鉈が便利です。牛・鹿・豚・山羊 などの解体時の骨の切断にも重宝します。

そして肥後の守、年配の男性ならご存知のポケットナイフです。団塊世代なら一度は手にした事が有るのではないでしょうか。これで竹を削って “竹とんぼ” を作ったり、竹で弓を作り篠で矢を作ったり。

鉛筆を削るのも、学校の机に落書きを掘ったのもこの肥後の守でした。小サイズが5円、中が10円、大が20円で売られていた記憶があります。駄菓子屋にも文房具屋にも有りました。昭和の三十年代前半の事です。

ロタの人はこのナイフをどんな風に使うか、そこに興味が有ってインターネットショッピングで取り寄せ五丁だけ持って来ました。明日からこのナイフ使いを観察するのが楽しみです。

と言うと彼らに怒られるかな?。でも自然児のチャモロの事だから、我々以上に使いこなすと期待してはいるんです。面白い使い方を見たら報告させて戴きます。

刃物以外には、おろし金・漬物器・そばつゆ・すし酢・だしの素・蕎麦・素麺・のり を持って来ました。すべて料理教室の教材ですが、のり は料理教室の友人の孫がバリバリと食べちゃいました。

料理教室の第二弾もご期待戴いて、来年の事とさせて頂きます。今年は、つたないブログにお付き合い戴き有り難う御座いました。このブログを通じてご縁を戴いた皆様には、良いお正月をお迎え下さい。

(蚊取線香を焚いて、短パン・Tシャツで扇風機にあたり乍らロタ島より) 『また、来年でーす!!』
19日夕方日本に帰って来ました。さーむーいです叫び
出掛けたのが9月まだ暑い盛り帰国が一昨日、真冬!! 夏物だけで帰国です。日本て寒かったんですね。

でも寒いと鍋料理が旨いんですよね。白菜たっぷりの鍋料理食べたいですね。
ロタでは鍋料理は殆どやりませんが、一度ロタ産白菜を使ってやって見たいと思います。

さて、前回お約束のロタ島料理教室の話に参ります。私は、チャモロの料理が覚えたい、そして私の友人は、日本料理が大好きで是非とも覚えたい。そこで交互に料理を作り教え合っています。

まず私が最初に教わったのが代表的ソース、フェナデニです。チャモロ語で、フェナは “ソース・汁” の事だそうです。デニは “作る” だそうです。直訳すれば『作ったソース』と言う事に成ります。

では、『作りソース』の作り方です。ベースは醤油とレモンです。醤油は日本統治時代が有ったので当時から根付いており頻繁に使います。入手し易いのはメイドインUSAのキッコーマン醤油です。

そしてレモンを使います、サンキストのレモンを想像している方、気の毒ですが全く違います。沖縄のシークワーサーを想像して下さい、或はカボスですね。要するに小型の酸っぱい柑橘類がレモンです。

だから柚子もレモンの中に入ります。そしてキンカンの若い実などもレモンとして使います。

で、醤油とレモン汁を1対1の割合で混ぜて、刻んだタマネギ・ニンニク・ネギ・ニラ・唐辛子などを入れた物をフェナデニと呼び、魚・肉の生をこれに漬込んで食べます。これをケラグエンと言います。

ただし、本当のケラグエンはヤシの実のコプラ(少し古く成ったヤシの実の硬く成った白い部分)を削った物とレモンと塩を混ぜ、サシミを漬けたもので醤油が伝来する前からのチャモロオリジナルです。

これは作り方も味もシンプルですが旨いです。日本料理も素材の味を活かしたシンプルな物が多く、共通する所が沢山在る様に思います。

今、ロタ島では西港にアジの群れが入り、入れ食い状態が四ヶ月以上続いており、どこの家もアジが食卓にのぼり、サシミ・ケラグエン・揚げ物・焼き物・煮物・スープなどに成って食べられています。

友人が昔、日本で食べた煮魚の味が忘れられないので作ってくれとリクエストが有り、アジの煮魚を一緒に作りました。醤油・酒・水・みりん・砂糖・ショウガ・ネギを加えた、オーソドックスな煮魚です

まずアジの鱗を取りゼイゴをはずし隠し包丁を入れて鍋に入れ、酒=日本酒、が無かったのでジンロを代用しました。鍋に魚を列べ落とし蓋(アルミホイルを代用)をしてコトコトと煮込みます。


二十分程して魚を皿に移して試食会、友人は『美味しい美味しい』を連発して煮汁をご飯にかけてお代わりをしていました。

彼の奥さんは料理の名人ですが、特にスープは絶品です。私が好きなのはカボチャのスープです。と言ってもカボチャを煮たスープではありません。カボチャのツルと葉っぱのスープです。

まず、鶏肉を水から煮ます、そこへ一口大のタロイモを加えます、芋が煮えたらフキの様に筋を取って2センチ程に切ったカボチャのツルと葉っぱを入れ、ココナッツミルクと塩味で味付けし出来上がり。

シンプルな味のクリームシチューの様で私は大好きです。このスープをご飯にかけてスプーンで戴きます。いつもこのスープはお代わりをします。

ロタには漬物が殆ど有りません、有るのは若いパパイヤの塩漬けと酢漬けのいわゆるピックルスです。
で、私は大根・白菜・キャベツ・キュウリ・茄子などを塩漬けにし、バーベキューなどで提供します。

小型の漬物器を日本から持って来てあり、これで大概の物は漬物に出来ます。問題はキュウリです、矢鱈に太くて大きい物ばかりで皮を剥いて縦半分に切りスプーンで種を取らないと使えません。

野菜を一口大に切り塩をまぶし、良くかき混ぜて漬物器に詰め込み少し圧力を掛け、冷蔵庫に入れて野菜から水が出て来るのを待ちます。数時間から一晩で水が上がって来ます。

そのまま2~3日すると食べ頃に成ります。本当はもう少し寝かせると乳酸醗酵が進みもっと美味しく成りますが、待ちきれませんので漬物器から取り出し、水をしぼります。

だしの素を掛けて掻き混ぜて小鉢に入れて出来上がりです。家で食事の時に食べたり、バーベキューに持参したり、友人宅に持って行ったりします。これが評判が良く吾ながらちょっと自慢なんです。

これを料理教室の友人は、すっかりマスターし自分の味にアレンジして漬け直し、味噌・醤油・ココナッツミルク・唐辛子・ニンニク味などすっかりプロ級の漬物師に成って居ます。

で、その漬物をつまみ乍らビールを片手に、『いつか、二人で漬物屋をやりたいね』と語り合っています。

クリスマスにはロタに帰りますが久しぶりの日本、とっても寒いです。今回の帰国でデジカメを入手しました。来年からは写真のアップも出来るかもです。

次回はまたロタ島からに成ると思います。
では、楽しいクリスマスを! !。
今年のロタ島は天気が変です。 雨期明けで暑い日が続く筈が、一日中雨が降ったり、夜一晩中降っていたり、それも東京だったらニュースに成る様な乱暴な雨なんです。やっぱり異常気象の影響なのでしょぅか。

私が住んで居るのは、シナパロと言う空港近くの新開地の村で、未舗装の道路が多い場所なんですが、バイクで買い物に行くのに大きな水溜まりを二カ所越さなくては成らないんです。

道幅いっぱいの水溜まりを避けつつ、端の畦道の様な所を走るんですが、三回に一回は畦道走行失敗、深い水溜まりを原チャリでジャブジャブと走ります。そんな時は『ガバメント金無いしなぁ、まっ良いか』と諦めます。

このバイク、50CCの4ストロークエンジンで、中国製、色は黄緑で良く目立ちます。グアムで$999で買いました。日本製を探したのですが、メイドインジャパンの原チャリは見つかりませんでした。

ロタへは友達の舟で運びました。飛行機で運ぶより舟の方が断然安いです。陸揚げしてから、後で販売証明書と領収書をセットし税関に自主申告です。個人使用は無税です。このバイクまだ、名前は有りません。

ロタ・ハイウエイを45マイル/h(72Km/h)で走ります。ロタリゾート入り口からソンソン村へ向かう坂を50マイル/h(80Km/h)で駆け下りますが、登りは20マイル(32Km/h)しか出ません。

先日気分よくテテトビーチからソンソン村へ向かって走っていると、パトカーが “ヒュイ・ヒュイ”とサイレンを鳴らして後ろに付きました。ビックリして右に寄って停まりました。

すると警察官が降りて来て、『ヘルメット・エブリデイ・エブリタイム・OK?』と注意されてしまいました。朝シャンをして髪が濡れていたのでノーヘルで乾かしていたのでした。(やっぱ!!ドライヤー買おう!)

直ぐに座席の下からヘルメットを出して冠りました。すると『プリーズ エンジョイング ロタライフ』と言ってパトカーに乗って去って行くんです。俺、英語は良く分んないけどロタの警察官かっこいいです!!!。

今、ソンソン村の友達の家に、二日に一度くらいの割合で遊びに行っています。彼は日本語と日本の料理に興味が有り、私はもっと英語が覚えたいのとチャモロの料理に興味が有ります。

お互いにタドタドしい日本語とタドタドしい英語での会話ですが、コミュニィケーションは成立しています。先日、『アゲポヨー』ってどう言う意味だ?、と聞かれたけどこっちも良く分りませんから。

『それは日本語じゃあ無い、ハングルだ』と言って置きました。『アニョハセヨーが海を渡っている間に変化したのかも知れない』と説明して置きました。

元々そんな日本語は無かったし、成長著しい韓国からの輸入品だろうと説明したんです。で、彼に教える日本語は、現代共通語に武家言葉と名古屋弁です。彼は、ホテルのツアーガイド兼ドライバーをしています。

で、日本人観光客との会話を必要とし、それを楽しんでいます。いつも彼の方から、今日はお客さんに『アッと言う間に』ツアーが終わっちゃった、すごく楽しかった。と言われたけど『アッと言う間』の意味は?

などと聞かれるのが常です。私はこれを出来るだけ英語で説明する様にしています。そうすると彼がところどころ的確な英語に直してくれます。そして、彼は “アットイウマ” に理解し自分のものにして行きます。

彼は、忍者にアコガレを持っていて、侍にも興味が有ります。そして、『忍者時代の言葉を知りたい』と言うのでサムライ言葉を教えています。ツアーの時などに使えるサムライ言葉として授業を進めます。

たとえば、最初のコミュニィケーションは、出身地を聞く事が多いので『お主は、何処から参られた』とか『おのおのがたは何時迄ご滞在か』また、ツアーではロタ動物園やハニーガーデンなど入場料が必要な場合も有ります。

『ここの木戸銭には、1割の年貢がかかっております』とか、“レッツ ゴー” を『いざ、参ろうぞ』とか
戦争史跡を『イクサ アト』、また集合写真の時などは『前の者は、中腰に成られよ』と教えています。

ただお客さんも、まさかロタ島でサムライ言葉で話しかけられるとは思って居ないらしく、会話が一度で成立する事は無いとの事です。では、もっとコミュニィケーションをアップするには、方言が良かろう。

で、セントレアからのお客さんが増えたので、名古屋弁の需要が増えるだろうと名古屋弁の特訓をしています。サラヲ オットリャキャーテ ワラキャーテ マータガヤ (皿を落として割ってしまった)とか。

オミャーサン ココハヨー キンエンダガヤ タバコハヨ ソトデスウテチョー とか ロタハヨ エピフリャーガ ニャーデァカンハ 或は ミソカツハ ニャーヨ ケンドモ カツドンハ アリャースヨ トウキョウエンニ

とか オミャーサン キャッサバノ ムシモノハヨ オオスウイロウ ニ ニタ アジデ ンメーニ など実用本意の名古屋弁を勉強中ですが、まだ実践では役立ってはいない様です。  楽しい料理の授業は次回に。
 前回に続きロタ島永住へのお誘いです。 

 まず、学校教育関係で、ロタに “分校” や “合宿施設” などを検討される余地を持つ方はおられませんか。 現在、島では高校が一校、大学が一校、空き校に成って居ます。

 たとえば、高校あるいは大学の入学後のオリエンテーリング期間を、ロタ島での “生の英語” と敬虔なカソリック信徒との触れ合い、無垢の大自然の中で過ごす、と言うのは如何でしょう。

 そして、滞在期間を仮に一ヶ月としたら、ホテル住まいを半分、ホームステイを半分と言うのはどうでしょう。 チャモロの家庭で寝食を共にし、文化や習慣に触れ、違いや共通点を理解する。

 また、サークル活動やスポーツ合宿などでの利用も可能だと思います。 冬期合宿などには最適かと思います、気温が27~30度C位で色々なスポーツに対応出来ると思います。

 ゴルフ合宿なども一考の余地は有るでしょう。 島唯一のゴルフ場は、貸し切りに近い状態で使用出来、レッスンをしながらのゴルフも可能です。

 あるいは、大学や専門校の分校として、静かな環境で研究や勉学に励むのも良いと思います。
 ◎◎大学○○学部ロタ研究室とか◎◎学校ロタ島分校とか、良いと思いますね。

 また、地元の政府は、自然エネルギーの実験・研究をする企業や研究機関の進出を望んでいます。 
 たしかに、1年を通して北東の風、約10メートルの止まない風が吹いていて、風力発電の研究には良いかもしれません。

 そして個人には、北マリアナ諸島では年金暮らしのリタイアビザと言う物が有ります。 現役引退後、年金等での生活基盤の有る人を積極的に受け入れています。 

 現在、米連邦移行に伴い今年一杯で無く成るかも知れないとの事ですが、まだ無く成ったと言う話は聞いておりません、ただ念のために、アメリカ大使館に確認をお勧めします。

 以下、もし老後の永住を考えて居る方の参考に成れば幸いです。(シナパロ村、一人暮らし) 

 家賃・2LDK=$100        ソンソン村かシナパロ村かで相場が違う。ソンソンは割高。
 電気・契約形態により、$50    スマートメーター(カード式前払い)はお得です。
 水道・$30           上水道のみ、ロタに下水道は有りません、各敷地内で浸透処理。
 ガス・カセットガス、$40    電熱式コンロかカセットコンロを使用、プロパンガスは少数派。
 電話・電話&ネット、$80      通常の電話回線とネット回線をセット契約。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  合計 (平均)約  $300

 私は、年金が月額にして約$1,000です。したがって、$1,000ー$300=$700 これが生活費の全てです。 ここから、食料・ガソリン・嗜好品・その他を捻出します。

 ちなみに、ガソリンは1ガロン(約4.5L)約$6です。 タバコは、売れ筋のDRALEが$4.50です。 またサイパンまたはグアムまでの往復航空券は、$219ですが、60歳以上は10%割引です。

 そして、こちらでは堺正章氏や加藤茶氏の様な歳の差カップルは沢山います。 心機一転、もう一花咲かす、と言うのも全く不可能では有りません。 実は私も今、密かにそれを狙って居るのですが、私の好みのホッソリ体型の方がなかなか居ませ~ん。

 以前は、日本人妻が結構居たのですが景気の悪化で島を出たり、カジノが合法化された後、ギャンブル狂いの夫を見限って離婚したり、不倫相手の子供を妊娠し、離婚して帰国した人等も居ますが、おしなべて日本女性は、奇麗でおしとやかだと好評です。

 今、ロタには約20人の日本人が在住しています。 ダイビングショップ関係・ホテル関係・リタイヤ&ペンションライフ・日本人妻などです。 あと、家を所有し大半をロタで過ごす人、ホテルステイですがいつもロタに居る人、など様々なロタライフを楽しんでいます。

 あなたなら、どんなロタライフを過ごしますか?。 グアムから20分サイパンから30分、着いたらビーチでな~んにもしないロタライフ、最高の贅沢かも!!。
 
 ロタ島では、東日本大震災の後、義援金を送り、公営住宅をリニューアルして被災者の受け入れ準備をしています。 被災者の方でロタに住む方居ませんか。

 役所がナケナシの予算をはたいて、キッチン・バス・トイレを修理し外装を塗り直し新築の様に奇麗に成っています。 ただ、日本政府に正式に申し入れをしたのか、ロタ島公式サイトには全く触れていません。

 ああ、“ロタ島公式サイト”はウエブ検索ですぐに見つかります。 日本語で発信しています。 日本にもNPOの日本事務所を開設しています。

 ローカルに聞くと、『日本の被災者に住んでもらうんだ』と胸を張って言うんですが、日本人は誰も住んでいないんです。 彼ら得意の空回り政策なのか、今ひとつ良く分りません。

 彼らは、何か事を決める時はソンソン村の円形の集会場に集まり、全体会議を開き多数決を取り、そこで決ると島の決定次項と成り、役所が推進し管理します。

 例えば、ロタ島に企業が進出して業績を上げているとします。 全体会議を開き、『儲かっているようだから税金を上げましょう』と言う提案をしたとします。 全員一致で賛成し、税金値上げです。

 『日本の被災者を受け入れましょう』全員賛成。 決定次項に成ります。 後は、役所が推進・管理をしますが、日本に対してどうアプローチし、どう推進するかはお役所任せと成ります。

 日本に、『被災者受け入れの準備が有ります』と申し入れたとします。 日本政府が『そうですか、ありがとうございます』とここで終わってしまっている可能性も有ります。

 島の代表団が被災地に出向き、『ロタで農業をやりませんか、住む所と農地は充分に有り、販路も確保して有ります』。 あるいは、『島で漁業をしませんか、住宅と漁具・漁船は準備します、販路も確保して有ります』、でないとね。

 島に農地は充分以上に有ります、1年を通して27℃から31℃で夏野菜栽培に最適です。 

 本格的漁業は手付かずです、島の沖合の深さ1.000メートル付近に、大型の海老が沢山いるんですが、ウインチつきの漁船が無いので、誰も獲っていません。 

 そして、農業・漁業とも販路が無いんです。 隣にグアム・サイパンと言う一大消費地が有るのに全く開拓していないんです。 

 冷凍設備が有れば日本への輸出も可能に成ります。 これを何とかしないとと思い今レポートをまとめ、産業局に提出するつもりです。

  ロタ島で農業をやる人いませんか?。(すいか・メロン・トマト・なす・トウモロコシ・キュウリ・ 枝豆・葉もの・豆類・ets)

  ロタ島で漁業をやる人いませんか?。(海老・蟹・カツオ・あじ・かます・シーラ・さわら・ハタ・クエ・ets)全く未開発です。

  一緒に販路の開拓をしてみませんか?。

  グアムに沖縄から海兵隊が引っ越して来ます、更に大きなマーケットに成ります。

 震災被災者の方は勿論ですが、海外で一勝負したいと思う方居ませんかね?。