ロタ島はマリアナ諸島の有人島5島の北から4番目の島です。人が住む一番北がアナタハン島、次がサイパン島。テニアン島、ロタ島と続き、一番南がグアム島でこのグアムを除く有人・無人の14島を北マリアナ諸島と言います。この島々には紀元前2,000年から1,500年には人が住んでいたと言われています。この先住民をチャモロ人と言います。1521年、ポルトガル人マゼランが島々を確認、調査の為にグアム島に上陸したと言われています。この時に原住民とイザコザが有り、チャモロ人数名を虐殺したと言われています。一説に拠ると、この時の上陸用の小舟に積んで有った物が盗まれた事が発端と言われています。原始共産制の暮らしを続けていたチャモロにとって、道具はみんなの物、盗むと言う意識は無かったかも知れません。しかしポルトガル人のマゼラン一行には許せなかったのでしょう。小競り合いの後数名が殺されました。その後、1668年にスペインが領有を宣言するも、それまでの名称のドロボウ島と言う訳にも行きません。布教に訪れたカトリック祭司・イエズス会宣教師、ディェゴ・ルイス・デ・サンピトレスが名前を考案。時のスペイン王フェリペ4世の妃マリアナ(ローマ皇帝フェルデナント3世の娘)の名前を付けマリアナ諸島。布教活動が始まるが、自分たちの宗教を持つチャモロ人にとって、キリスト教は受け入れがたいものでした。チャモロ人とスペイン人の間で戦争が起こります。戦闘は鉄砲を持つスペインが圧倒しました。
マゼランの船・スペインの虐殺と破壊

キリスト教・アラグアン・ベイ、当時の生活。
また戦闘以外でも、西洋からの伝染病などで10万人とも言われたチャモロ人が3,000人強に激減しました。サイパン・テニアン・ロタの先住民・チャモロ達は強制的にグアムに集められました。ロタ島では秘かに逃れた人々が島の南東のアラグアン・ベイに隠れ住みました。スペインはサイパン・テニアン・ロタにトラック諸島・ポナペ島周辺のカロリアン人を移住させました。チャモロ人は1800年には2,100人にまで減り、1886年には8,360人余まで回復、しかし混血が進みました。併せてキリスト教化が進み、ほぼ100%がカソリック信者と成りました。それは現在も続いております。そして、布教を始めた当時のイエズス会第3代総長、聖サンフランシスコ・デ・ボルハを祭るフィエスタです。
ボルハ総長、St. Francisco. de. Borja (1510. 10. 28~1572. 9. 30)カソリックの聖人・エクソシスト・地震の守護神。
正式には10月3日と決められていますが、現在では10月の3日過ぎの最初の土・日と成って居る様です。まず、教会でミサが行われます。それが終わると場所を向かいのチャモロビレッジと言う広場に移します。まずご馳走を戴きます
殆どの人はご馳走目当て、私もです。
列び始めてから30分は掛かります。
牛・豚・鹿肉・魚の焼・煮物、野菜の煮物・サラダ他
そして、式典や催し物、更にご馳走が食べ放題です。来賓の挨拶や市長の挨拶、高校生に拠るダンスなどです。
チャモロ人・アメリカ人・日本人など
何時もの年よりお客さんが少ないです。
K子さんと友人の娘さん
友人のお嬢さんは性格がとても素直です。
花火も上がりました

大きくは無いのですが数が沢山。
市長の挨拶
市長はスピーチよりも歌の方が上手です。高校生チームに拠るダンス

クラブ活動も有る様です。
チャモロダンスと言うよりヒップホップ

一生懸命に踊っていました。 なんだか年々規模が小さく成って行く様に見えます。今年は生バンドは有りませんでした。
途中、激しい雨が降ったりと、あいにくの空模様でしたが無事フィエスタが終了しました。