戦後生まれの私は、アジア侵略の愚かな戦争とも植民地支配の戦争とも教わりました。
日本が中国大陸や東南アジアに軍事侵攻し、無垢のアジア人を殺戮し財産を収奪した戦いと教わりました。
しかし、“本当に日本は一方的な侵略・略奪を目的にあの大戦争を遂行したのか ?”、と言う疑問を抱く様に成りました。
今から20数年前、マリアナ諸島やミクロネシア諸島を訪れた時に、その疑問が具体的なものに成りました。
まず最初が、マリアナ連邦のロタ島でした。その島の手付かずに残された自然。
そして何より、ナチュラルに生きる現地のチャモロ人達に心を打たれました。
レンタカーを借りて、島の中を走ると“右手が疲れる”のです。渋滞等は有りません、信号すら無い所です。
なぜ、ドライブをしていると“右手が疲れる”のか ?。対向車がすれ違い様に右手を上げて挨拶をします。
『おや ?、あの人は知らないけれどなぁ』と思いつつも、こちらも右手を上げて挨拶を返します。すれ違う車全部とです。
だから、1日ドライブをして島巡りを終える頃には右手が肩から重く成っています(笑)。
そんな島民達と友達に成るのは直ぐでした。スーパーで買い物をしてレジで支払をしていると後ろから肩を叩かれ
『今夜のディナーの予定は ?』と聞かれます。『ホテルのレストランで』と言うと、
『我が家でBBQしよう !』と声を掛けてくれるのです。そして、日本人と見ると、『何処からきたの?』、『ホテルは何処 ?』
『いつ来た ?、いつ帰る ?』、『子供は何人 ?』、『仕事は ?』、『私も日本に行った事が有るよ』、等々。
そして彼等は異口同音に、『日本が好き、日本人が好き』、さらに日本人を評して次の様に言うのです。
日本人は、“親切”“勤勉”“真面目”“賢い”そして“嘘をつかない”と言うのです。特に老人達がそう言うのでした。
先の戦争では、“侵略国”、“略奪者”としての日本国・日本軍と教わり、加害国・加害者の末裔と言う意識でした。
ところが、南方の島での評価・評判がまるで逆なのでした。“面食らう”と言う表現が有りますが、正にそれでした。
“何故だ !”と言う疑問が湧き、調べ始めました。現地のご老人達は日本語が話せます。日本語での会話です。
『私達は300年以上スペインの植民地だった』、『無理矢理クリスチャンに変えさせられたよ』
『その後ドイツの植民地』、『ドイツはスペインから買ったのね』
『そして日本に成った』、『ニッポンの時は良かったよ』、『みんな優しくて親切ね』
日本時代は、『学校で勉強した』、『病院も在った』、『仕事をして給料を貰った』、『色々な事を教えてくれた』
日本の南方経営は、朝鮮半島や台湾、そして満州国同様にインフラ整備と教育・貧困対策がスタートでした。
砂糖キビ運搬用の機関車(ドイツ製)
殆ど島を一周していました。
当時は、スペインが300年以上に亘り植民地としていた南洋諸島を、ドイツが買収しました。
その後、第一次世界大戦で敗北したドイツの植民地だった南洋諸島を日本が無血占領しました。
1918年11月11日の終戦時には、赤道以北の東はマーシャル諸島から西はパラオ諸島迄を占領地とします。
ただし、グアム島はスペインからスペイン×アメリカ戦争の賠償として譲渡されアメリカ領でした。
南洋庁と言う役所を設置し、サイパン島やポナペ島等には支庁を設置、各島には支所・出張所等が置かれました。
そして、国連の委任統治領として認められました。以後、道路・港湾・鉄道・電気・水道・教育・医療、等々。
南洋庁は、企業特に南洋興発(株)と連携し各島々の開発と振興に努力しました。そのまま現在も日本領で在ったら。
日本は世界一の海洋大国として、海運と航空輸送で世界のトップに君臨していた事でしょう。
話しを戻します。ことほどさように、欧米の植民地政策と日本のそれとは違うものだった様です。
私が通い始めたロタ島の友人の中に、ポナペ島出身のピーター・ポール氏がいました。
彼の奥さんの母の父、お爺さんは日本人です
彼は牧師さんで日曜学校の先生です。
在る時、そのピート氏の故郷のポナペの産業・経済の発展に役に立てないかとリサーチに行きました。
メインは、海産物と木製彫刻などの輸出でした。ここでも、数々のカルチャーショックを受けました。
ポナペ島の人達も日本人が大好きなのです。お年寄りは日本語が話せました。
そして、日本人とのハーフやクォーターが沢山いました。『私には日本人の血が入っている』と誇らしげに。
そして、今でも日本人を尊敬の眼差しで見、信頼と憧れを持って接してくれました。
それらの経験から、『何かオカシイぞ、教わった事と何かが違うぞ』と思う様に成りました。
そこで、第二次世界大戦と言われる“太平洋戦争”、日本的に言えば“大東亜戦争”の真実は何か ?
その疑問を晴らしたいと思う様に成り調べました。まず当時日本が係わった戦争当事国は何処だったのか。
日本が戦った相手は、アメリカ、イギリス、オランダ、フランスでした。開戦は昭和16年12月8日です。
12月8日と言えば、“真珠湾攻撃”が有名ですが、それはシンガポール侵攻が始まった日でもあります。
12月8日の午前1時30分、マレー半島北部のコタ・バルに上陸。これは真珠湾攻撃より1時間30分早かったそうです。
そして激しい戦闘を続けて南下し、翌年2月7日~15日迄の9日間のイギリス連合軍(インド軍・オーストラリア軍含)
とのシンガポール争奪戦の結果、勝利し占領しイギリス軍を降伏させました。
この結果、英・仏・欄・米の植民地であった東南アジア各国も、『白人は不敗の神では無かった』と認識。
日本軍と協力して独立の為の戦いを展開し、その殆どが欧米列強の植民地から独立を果たしました。
以下に、当時の植民地支配図を貼付けます。
東南アジアで独立国と言えるのは日本のみ
そして、日本は敗戦の日を迎え、“大日本帝国”は滅亡し、アメリカ軍の占領下に置かれます。
しかし、日本が開戦の大義に掲げた“大東亜の独立・共栄”の内の“独立”は確保しました。
日本は、“戦に負けても勝利した”訳です、連合国は、“戦に勝って全てを失った”と言う結果です。
私の父は、インパール作戦に参戦しビルマで終戦を迎えましたが、捕虜収容所の管理がオランダ軍だったとの事
そのオランダ兵が、『お前達は戦争に負けても帰る国が有る、俺たちは勝ったが帰る所が無い』と言っていたと。
8月15日は、大日本帝国滅亡の日でも有りますが、アジア独立戦争終戦の日でもあると思ってます。
アジアの白人支配からの独立戦争終戦の日にあたり、尊い命を犠牲にされて戦って下さった先人に感謝。
白人(特にアメリカ)による無差別爆撃・原爆投下で犠牲に成られた方々への追悼の念をこめて。
世界人類が自由で平等で安心平和な生活が送れます様に。
大日本帝国滅亡の日・アジア独立記念の日によせて。








































