「気を使いすぎてしまって疲れるから、人とかかわるのが苦手」


こんな風にいう方は割と多いような気もしますし、鑑定の際のお話でも耳にします。


うん、わかる。

まさに自分もそんなところがあります。



ホロスコープの中のどの要素がそうさせるのか。


それは人それぞれですし、その理由がひとつでない場合も多いです。


わたしであれば。

12ハウスの月は、その場の空気感とか相手の仕草から、言葉以上のものを察知しやすい。

そして月は蟹なので、とにかく気持ちの上での安心を求める。


だからこそ、相手の表情や声のトーン、目線などから、「相手が今どんな気持ちで目の前にいるのか」を考えてしまうし、さらにいえば不快にさせることで、その場の雰囲気が悪くなり、結果自分がダメージをくらうことをすごく怖がる。


6ハウスには月オポジションとなる金星山羊があるので、相手の反応を見ながら対応することができないわけではないし、むしろ年齢を重ねてからは、仕事のスキルとして役立っている部分ではあるものの、やっぱりハードアスペクトを使うことって疲れるから、その反動なのかより一人の時間が必要になってくる。


また、いろんな方をみていて。

アセンダント側に天体が多かったり、火星が強めだったりすることで、どうしても自己主張が強くなり、それゆえに周囲と馴染むことが苦手で、人間関係でこれまで色々あったが故に、それを回避しようと気を遣うようになり疲れてしまう、というパターンもよくお見かけします。


なんにしても、「なぜ気を遣いすぎてしまうのか」がわかると、それが自分にとって必要なことなのか、そうでないのかが見えてくるような。


そして、わたしの場合。

「自分が安心できる環境を作るため」


結局は気を遣うことが、自分にとって安心できる場所を育てていく。


だからこそ、自分がどのくらいまでならそこに労力を割けるかなんとなく考えるようになりました。

無意識の打算もありますね。


ある一定のラインまでは、反応を見ながら相手のことを気遣うけれど、わたしのとっての安心できる関係を作るのが難しそうと悟ると塩対応になる。


月蟹で心のシャッターをパタンと下ろしつつ、太陽水瓶で「人それぞれだし」と自分を正当化。


自分を偽らない。

そのままの自分でいい。

自分らしさを出す。


占い界隈に足を突っ込んでいると、こんな言葉をよく目にします。

そしてこれができた時、「生きるのが楽になる」と思いたくなる気持ちもわかります。


ただ表現が難しいのですが、「自分らしい生き方」が「ホロスコープに表示されている生き方」と仮定するのであれば。


そもそもホロスコープに「まわりに気を遣うことで疲れることはあるけれど、そこを取り組んでいくとこが自分の求める生き方につながる」と表れていることは本当に多いです。


いわば、目的地に到達するためには避けることのできない道。


魔王を倒すことを目的とした冒険譚においても、途中仲間とぶつかるようなエピソードもあったり、そんないざこざを通してよりチームワークが深まったりする場合もあるわけで。


場合によっては、言いたいことを抑えなきゃいけなかったり、仲間内の関係で悩んだりなんてこともあるかもしれない。

もしくは、嫌になって一旦その仲間から離れたけれど、離れることによってその重要さに気付いたり。



もし、まわりに気を遣いすぎることにより疲れてしまうと感じるのであれば。


もちろんその疲労を回復させることは大事だけれど、それが自分のやりたいことやゴールにたどり着くためには必要なことなのかどうかを考えてみるといいように思います。


もししんどい状況にあるとしても、それがゴールを目指す上で避けられない道なのかどうか。



また、「まわりに気を遣うこと」自体が、あまりいい意味で捉えられていないなと感じることもあります。

牡羊と天秤、もしくはアセンダントとディセンダントの関係をみても、占星術視点で考えるとどっちも大事なわけで。


ちなみにわたしは「天秤冥王星世代」なので、よりこういう考え方になっている可能性は否めないので、そこはあえて書いておきますね。


「周囲とうまくやっていくこと」が自分でも気づかないけれど重圧となりがちな天秤冥王星世代だからこそ、そこにこだわってしまうのかもしれません。