9月になりました。

 

あいかわらずのしんどい暑さですが、仕事から帰宅する時に見る夕焼け空に秋の気配を感じたり、あれほど鳴り響いてたセミの声がしなくなってきたなぁなどと、些細なことですが季節の移り変わりをかんじます。

 

娘は今日から新学期。

 

昨日の夜、「もう夏休み終わりー、もっと続けばいいのに」と娘が話していたので、

「あとどのくらい続いてほしいの?」と聞いてみたところ

 

「あと2日くらい」とのこと。

 

夏休みが終わるのが本当に嫌で嫌でしょうがなかった自分の学生時代と比べると、やっぱり娘は学校が好きなんだなと思います。

 

具体的な「嫌なこと」があったわけではありませんが、毎日学校に行くのに「がんばる気持ち」が必要でした。

 

実際行ってしまえば、ただただ時間の流れに身を任せていればやりきることもできるし、友達と過ごす時間もそれなりに楽しかったんです。

ですが、家で自由に好きなことをできる時間に比べるとそれは窮屈で。

 

ですが占星術を知り自分のチャートを見た時、一見ノーアスペクトに見える天王星が効いていたり、ハーモニクス5での天王星と海王星の影響なんかをみても、縛られる、押さえつけられる、枠に閉じ込められる、そんな状況がそもそも苦手なんだということがだんだんとわかってきて、あの頃なんで学校に行くことに対して憂鬱な気分を抱えていたのかが腑に落ちるようになりました。

 

それでも「学校に行かない」という選択をしなかったのは、やっぱりアセンダントにのっかる「土星」あってのことだと思います。



自分も含め、いろんな方のホロスコープをみていると、一人の人間の中に「矛盾する性質」が混在していることはよくあります。


まじめで努力家な人格と、フラーっと目的もなくただよっていたい人格とか。

 

人はいろんな面を持っている。

多くの人がそのことを理解していると思いますし、その時一緒にいる相手、場所、場面で無意識、または意識的に自分を使い分けているのだと思います。

 

また矛盾する性質のうち、その人にとって影響力の強いもの、もしくは意識しなくても前面に出てきやすいものがどうしても表れがちです。

アセンダントに乗っかる天体、タイトなコンジャンクションとなっている天体など。

その時の年齢域の天体も前に出やすいですね。

 

わたしであれば、やっぱりアセンダントに乗っかる「土星」でしょうか。

 

そして前に出てきがちな天体の性質が、親や社会から受け入れられやすい性質だったりすると、そこを抑える必要がないのでむしろその性質がどんどん伸びていく。

 

逆に抑えつけられがちな性質だと、周囲からそして場合によっては自分自身でも「短所」としてとらえてしまい、なるべく出さないように努力することもあれば、その性質が受け入れられやすい場に身を置くこともあるかもしれません。

 

 

私の趣味の一つとして「園芸」があるのですが、日当たりや湿り気、土の性質などそれぞれの性質にあった場所で育てると多くの手をかけなくてもぐんぐん成長しますしもちろん花も咲かせます。

 

逆に合わない場所で手をかけて工夫して育てたところで、どうにか咲いても貧弱な花だったり少しの環境の変化ですぐに枯れてしまったりします。

 

身を置く環境を選ぶことができない時代であれば、ハードアスペクトなどホロスコープ上の良くない表示はそのまま「不幸」であったのかもしれません。

 

ですが現代においては経済的自立が可能であれば、自分の性質を理解した上で、できるだけその性質にあった場所に身を置くことは可能です。

 

ある程度年を重ねてから、新しい環境に飛び込むことは大きなチャレンジです。

でも迷っているなら準備をした上で行動した方がいいのかなと、最近は思います。

 

私の場合、アセンダントにのっかる「土星」があったからこそ、これまで得たものもいろいろありましたし、もちろんこれからも土星に守られていくのでしょうが、自分の中の天王星や海王星にも光をあてたいなぁと考えるようになってきました。

 

2度目の土星回帰はまだもう少し先ですが、いろんな角度からチャートを眺めていると、次の土星回帰は土星的な生き方から天王星的な生き方へシフトするためのターニングポイントになるような気もしています。