「鬼滅の刃 無限城編」を観てきました。


ストーリそのものには触れずに書きますが、雰囲気や演出等についても目にするのを避けたい方はこの先ご遠慮いただいた方がいいかもしれません。



ではここから。


夏休みということで、電車で1時間ほどの距離に住んでいる妹とその娘2人、わたしと妹の母、そしてわたしと娘の計6人で近隣の映画館に行ってきました。


今の映画館は事前に席が予約できるのでいいですね。

トイレが近くて心配な妹のリクエストで通路に沿った座席を確保していましたが最後まで席を立つことなく視聴できました。


ちなみにわたしと娘、そして母は今回はじめてでしたが、妹とその長女は2回目、次女は3回目の映画館とのこと。


職場でも「4回観た」と話している方がいましたし、好きな作品は映画館で何回も観る、というのがもうスタンダードになっているのを感じますし、こういうのってすごくいい。


もちろん「特典」が目当ての方もいるでしょうし、映画そのものが通常上映の他にもいろいろあったりするので、好きならば全部制覇したい!という気持ちもわかります。


うちの母などは世代的なこともあると思いますが、お金を払ってまで同じ作品を何回も観るという感覚はやっぱり理解が難しいようです。



わたしの場合、原作の大まかなストーリーは大体知っている上、周囲から含めいろんな情報を目にしていたせいか(わたし自身はネタバレされるのは大丈夫なタイプです)、物語自体に入り込むというよりは、その演出に対して心の中で「すごい!」を繰り返していました。


なんというか、映画を観ているというよりも、コンサートや演劇などを観ている感覚に近いというか。


「映像」と「音楽」と「効果音」の相乗効果を全身全霊で堪能するかんじ。



そして物語そのものよりも、その「作り手」である方達のことを考えて、気持ちが昂っている自分がありました。


なんかこれ「水瓶」の感覚っぽいなぁと。


映画制作については詳しくはありませんが、それぞれのプロフェッショナルが集まって一つの作品を完成させ、それが多くの人の気持ちを動かしているという現象に胸アツになります。


ものづくりでもなんでもそうですが、名前が前に出る人以外にも多くの人がそこにはかかわっていて、それはいわば「裏方」であったり「陰」の部分ともいえますが、そういう人の力があってこそ

結果に結びつくと思いますし、そこについて考えてしまうのは、自分の太陽が「デトリメント」となる水瓶ぽいなぁと感じます。


水瓶は「自分が主役」というよりも、俯瞰が得意という性質から「プロデュース」の方が向いているとよくいわれます。


それぞれが持つ「太陽の強い光」が主張しすぎてお互い消し合ってしまうことを避け、どうしたら「1+1=3」というように相乗効果をもたらすことができるのか、そういうことを考えることが得意なように思いますし、だからこそそれまでの常識を越えるものを生み出すことができるのかもしれません。



「鬼滅の刃」という作品にしてみても、もちろん主人公は竈門炭治郎ですが、鬼も含めそれぞれのキャラクターにストーリーがあることが作品の魅力に繋がっているかと思います。


全てのキャラクターに対して、その背景を作り込み深みを持たせるという方法は、今でこそスタンダードになってきていますが、やっぱり以前は

「絶対的な主人公」と「その他のキャラクター」と一定の線引きがあったような。


それぞれの個性を大事にする

自分らしさ


このあたりって、今の教育で求められることなのかもしれませんが、それを子供達が「そうだよね」と受け入れられる土壌づくりに、今の漫画やアニメってすごくプラスになっているように思います。


絶対的な主人公でなくてもいい、お互い補い合うことで成し得ることもある。


もしくは「悪」といわれる立場にあるものに対しても、見方を変えれば違った側面が見えてくる。


映画を観ていて、それを多くの人が感じとれるといいなと思いましたし、そういう世界に向かっていくといいなと思うのです。


今回もめちゃくちゃ脱線しましたね。