「我慢」と「努力」の違いについて。


いけだ笑み先生の「ホロスコープが読めるようになる西洋占星術」をパラ見していて、自分自身「我慢」と「努力」を混同しているように感じました。


わたしのネイタルチャートの「土星蟹」の項目に、以下のように記載されています。


 

基本的に努力は苦手で、つらいことは避けて生きていければ一番いい。努力よりは我慢(忍耐)の方が得意。

これ見て、「ああ、わかるなー。まさに自分だ」と思うのは、わたしの「月」も土星と同じく蟹サインにあることが理由のひとつかもしれません。


またアセンダントやチャートルーラーが不動サインであることも、状況の変化が苦手という点では「我慢」につなりやすいのかも。


土星のディグニティ、蟹サインでは「デトリメント」になります。

これは「土星」の力が弱いということではなく、対向サインにある山羊の土星(ドミサイル)と強さレベルは同じだけど、土星本来の力がストレートに出るというよりは、特殊な形で表れやすいと解釈しています。



よかれと思って家族など自分の大事な人たちの気持ちや心地よさを優先するあまり、「なんで自分ばっかり我慢しなきゃならないのか」と突然爆発するのは「蟹」のあるあるパターン。



毎回我が家の話であれなのですが、料理をする際、「自分の食べたいもの」よりも「家族の食べたいもの」をどうしても考えますし、おいしいといってくれるのであれば、それで満足だったりします。


「母親」って大抵そうじゃない?となるかもしれませんが、だからこそ蟹サインの象意として「母性」があげられるのかもしれません。


ただ、おいしいの言葉がなく微妙な表情をされたり、箸の進みが悪かったりすると、「自分の食べたいものを我慢して、みんなが好きそうなものを作ったのに」という不満が大きく膨らみ、それは責めるような言葉や態度として表れたりすることも多いです。


「自分は我慢してるのに」

という思いがあるからでしょうね。


そう、家族の好みの料理を作ることは、わたしにとっては努力というより「我慢」なのです。


でもそれを「努力」だと思っている節は、確かにある。


「自分も含めみんながおいしいと思えるようなものを作ろう」という気持ちがないわけではないんです。


ですが、不満はたまりつつも、自分が我慢すればいいやとなってしまうことの方が多い気がします。


結局それは、「自分ばかり犠牲になっている」という思いを膨らませていくことになり、我慢の許容量が超えたり、何かの拍子にパンクした時にヒステリックな表れ方をすることになるのですが。



つらいことにぶちあたった時。

そこを避けるように違う道を選択することは、悪いことだとは思っていません。


だけどその壁を超えないと体験できない世界もきっとあるのだと思います。


そして自分は「越えるための努力」を嫌い、まぁこんなもんだろうと期待しないことで自分を納得させることをよくやりがちだなと。


そしてそれを「努力」だととらえる節が確かにあります。


ほどほどの満足度があればいい。

100%を目指さなくてもいい。

完璧を目指すと自分を追い詰める。


これはこれで大事です。


ただ、それを努力をしたくないための言い訳として使っているところがあるような気も。


「ダイエット」が成功しないのも、そういう自分の性分が影響しているのかもなんて。



自分では「努力」だと思っていることが、実はがんばることをしたくないが故の「我慢」であるのかどうか。


よくよく考える必要があるなと思いました。