私の太陽星座は「水瓶」です。
ですが以前、「水瓶座っぽくないね。」と、とある方に言われたことがあります。
もちろん、わかりやすく太陽星座のイメージが出ないこともめずらしくはありません。
ちなみに私にそんなふうに言ったその方は、ご自身の太陽星座と月星座をご存知で、年に一回占星術での占いを受けていると話していたので、12星座についての知識は多少なりともあると思われます。
私自身もそこまで「水瓶風味」が強いとは思ってません。
それは、「太陽を含め、水瓶サインに天体が集まっている方」と比較するとなお一層感じます。
ですが先日、自分の中の「水瓶」を強く感じる出来事がありました。
とあるオンライン研修に参加してほしい、と直属の上司から頼まれました。
なんでもその日、上司は有給をとっているとのことで、誰か代わりの人を立てなければと思ったとのこと。
そしてこの依頼を受けたのは、その研修の前日。
締め切りが近い仕事を抱えていたこともあり、咄嗟にヤダ、と思いましたし、なんならもっと前に言ってくれ、とも思いました。
でも話は聞きます。
どんな研修なのか。
そこに自分が参加する必要性はあるのか。
そして、聞いた上で思ったのは、
それ、私、参加する必要ないじゃん、ということ。
聞けば後日、録画受講も可能だそう。
ますます私が参加する意味が分からない。
依頼してきた上司としては、部署から誰か参加者を出さなきゃいけないと考え、私に確認してきた様子。
いわゆる「体裁」の為、というところがあったように思います。
結局私が言いくるめる形で、会議への参加は免れたのですが、こういうところは自分の中の水瓶を感じます。
そこに「納得できる理由」があれば、もちろん従います。
でも、それが個人的な感情によるものであったり、全体のメリットからかけ離れているものであったり、考えることを放棄して慣習にただ従っているだけだったりした場合、それってどうなの?とそこに対して鋭いツッコミを入れます。
水瓶は、権威的なものに対する反発だったり、改革精神と関係するサインで、それは「とんがっている」なんて表現をされることもありますが、むやみやたらにそうなるわけではないし、基本は平和的なやり方を好むサインのように思います。
だからまずは相手の話に耳を傾ける。
ただし、「聞く≠その考えを受け入れる」ではないんです。
ここが水のエレメントとの違いでもあるんですが、「話を聞くことは情報を収集して理解するため」だったりします。
相手が、「説明すればわかってもらえると考えるタイプ」だった場合、話を聞いた上で断るというのは冷たいと感じさせてしまうかもしれませんし、無駄なことをしたとがっかりするかもしれません。
理解するための努力は必要。
だけど理解できないこともある。
これが水瓶のスタンスのように思います。
水瓶本人にそんなつもりはなくても、こういう部分はとくに柔軟サインが強い人から見たら「我が道をゆく」と捉えられるかも。
今の会社に入社した頃。
もうかれこれ20年近く前になりますが、サービス残業ありきで仕事が回っている状況がありました。
仕事に不慣れだった私は、勤務時間内にその日の業務を終えることができず、同僚が手伝ってくれようとしました。
もちろんそこに残業代は発生しません。
その申し出、わたしは断りました。
気持ちはありがたいけれど、サービス残業が当たり前になっている状況がどうかと思いましたし、そうやってみんなががんばっちゃうことで、会社がそれを当たり前と考えてしまうと思ったので。
ですが、入社したばかりの社員がこう言うことをいうとひんしゅくをかうのは今ならわかります。
そう、残業を申し出てくれた同僚を怒らせたんです。
みんなが今までそうやってきたことを、いきなり否定したわけですから。
歳を重ねた今なら、相手の気持ちを汲み取った上でもう少し上手い伝え方もできるようにも思いますが。
ただ、それから長い年月を経た今の社会や流れをみてみると、この時自分が口にした事は当たり前にみんなが考えることのようになってきているのではないかと思います。
同じ会社に長く勤めているとより感じますが、コンプライアンスやハラスメント、そして多種多様な働き方や環境問題に対する考え方など、企業がかかげる理念が時代に合わせて変化していくのを感じます。
今では始業30分以上前に出勤することや、終業後30分以上残る事は基本NGですし、必要に応じて申請する際もそこには理由が必要です。
そこに対して窮屈さや不自由さを感じる人も中にはもちろんいます。
残業ありきでゆったり仕事をしたい人にとっては、時間内に終わらす事はプレッシャーになるかもしれません。
でも、個々の考えに任せるのではなく、会社として社会としてそのように提示してくれるようになったのはありがたいと個人的には思います。
いろんなことに対して、意見を交わし合うのは、それぞれの考えを知るため。
水瓶を表す言葉として「I krow(私は知る)」というものがありますが、知らなければ問題提起もできないわけです。
ただ理由もなく既存のものに反発しているのが「水瓶」、そんな風には捉えてほしくないなと思いながら今回の記事を書きました。