全体像をとらえる必要がある時。


視たいものからあえて距離をとったり俯瞰することで見やすくなることってあります。

またそんな見方をすることで、違和感に気づいたり新しい発見につながることもあります。

 

例えば、地図、ジグソーパズル、間違い探し、自分で書いた文章、メイクや服装などなど。

 

これって「天王星」っぽいなと思います。

 

一定の距離を保ったり距離をおくのは、そうすることで見えてくることがあるからだし、そういう視点を持ちたいからこそ、天王星は近づきすぎることを避けるのではないかと。

 

人間関係にしても距離が近すぎると、そこには思い込みなどが生まれます。


我が子の容姿をかわいいと思う親の気持ちに嘘はなくても、その子が学校など集団にまぎれた時、特別目を引く容姿なのかはまた別というか。

 

 

カメラのレンズでいうなら「広角」っぽく感じます。

広い範囲をクリアに捉える力。


目の前にあるりんごの「赤」は目を引くけれど、スーパーのりんご売り場に紛れたら、特別際だつ存在にはなりえない。

だけど、その分それぞれの赤の微妙な違いに気づきやすくなるともいえるわけで。

 

また自分の周囲だけを意識していると、わからなくなることってあります。

ローカルな地域では当たり前に通じる方言も、全国的に見たら何言ってるのかわからん!となることもあると思いますが、その地域に馴染んでいる間は違和感はありませんし、そこから離れて初めて、独特の言葉だったんだと気づくのと似ているかも。

 

 

同じようにカメラのレンズに当てはめると、「海王星」はレンズにフィルターを付けている状態かなと考えました。

 

もしかしたら画像処理ソフトの方がピンとくるかもしれませんが、夜景を実際よりもキラキラさせたり、夕日の朱色を強調させたり、あえて柔らかい感じにぼかして人の肌をきれいに見せたりする効果のあるフィルターは海王星っぽいように思います。

 

実物よりも素敵に見える状態ともいえるし、逆にいえばまやかしともいえる。

現実を直視しないことで夢を見ることができるけど、その落差にがっかりすることもある。

 

インスタ等にあがる画像やガイドブックの写真を見て、実際行ってみたら「あれ、なんか思ってたのと違う」と思うのは海王星っぽいです。

イメージが現実を上回っている状態。

でもそんな風に錯覚することができるから、人は希望が持てるというか。

 

そんな海王星フィルターは時に悪く思われがちですが、例えば余命いくばくもない方にあえて嘘を伝えることで、生きる希望につながることだってあります。

海王星には「癒し」という象意もありますが、すべてをはっきりさせることが優しさではないこともありますし「嘘も方便」という諺も海王星っぽいです。

 

辛い現実を人は見聴きするのはつらいけど、「海王星」のフィルターをかけて音楽や絵画など芸術に昇華させることで多くの人にそれは届きやすくなりますし、人々がもつ恐怖心にフィルターをかけて親しみやすくしたものが妖怪だったり都市伝説だったりするようにも思います。

 

そして「冥王星」

冥王星は洞察力や探求心、極端さと関連している天体ですが、隠された部分を捉えるという点では「マクロレンズ」っぽいように感じました。

 

理科の教科書や図鑑に載っているような、花や昆虫の一部を拡大した写真を見るとわかるように、肉眼では見えない世界を切り取るのがマクロレンズです。
 

一部分を拡大することで細部まで捉えることができる反面、そのほかの部分に関しては切り捨てられてしまいます。

クローズアップした部分に関しての情報量は多いけれど、全貌は見えてこない。


マクロレンズで撮影した画像って、一見被写体がなんなのかわからないことってありますし、それが面白いところでもあります。

 

冥王星はこだわりにも通じる天体ですが、その人にとっての「こだわり」って、他の人には理解できなかったりします。
だけど、マクロレンズでとらえた精密な世界になぜか惹かれることがあるように、そのこだわり部分が刺さる人にとってはそこが魅力ともなり、時に執着につながることもあるように思います。


自分だけが気付いた部分、自分だけが理解できる部分、そういうものに人は惹かれるのかもしれません。

 

 

トランスサタニアンの感覚を言語化するのって難しいかもしれませんが、身の回りの物や出来事に落とし込むことで、理解が深まるように思いますし、これが占星術の楽しさの一つだなと書きながら思いました。