先日、娘は学校の行事で1泊2日の野外教室に参加してきました。

 

学校に集合後、貸し切りバスを使って現地まで移動するのですが、行きのバスには担任の先生は乗っておらず、後程現地で合流。

 

先生が言うには、飼っている犬の調子が悪く、病院に連れて行ってたとのこと。

そのまま犬は入院という形で病院に預かってもらったそう。

ちなみに、わんこは元気になったそうです。

 

 

この話を娘から聞いて。

 

なんか「いいなぁ」と思いました。

 

それは学校行事において「犬の具合が悪くて遅れる」ということが、正当な理由として受け入れられていること。

もちろん他の先生方のフォローはあるだろうし、中には眉をひそめる人もいるのかもしれないけれど、生徒に事実を伝えるということは、それが親にも伝わる可能性もあるわけだけど、それでも隠すことなく事実を伝えられること。

世の中にそういう部分を受け入れる土壌が出来つつあるのだと思うし、万が一非難する人がいたとしても、ちゃんと説明できる理由があるということ。

 

先生という身近な大人が「教師」である前に、一人の人間だということがちゃんと尊重されているし、それを子供たちにもありのまま伝えるということが、なんというか「水瓶」の時代だなと思いました。

 

自分の仕事に責任を持つということは大事なことだと思います。

でも、どうしようもない時もある。

 

でもそこで、普段の姿を見ている周りの人たちがフォローしてくれる。

ちゃんと信頼を得ているからこそ、「個」が尊重される。

11ハウス的でもありますね。

 

私は太陽水瓶だからか、やっぱり水瓶的な世界観や11ハウス的な世界観に強く惹かれますし、木星牡羊もセクスタイルになっているので、「今まではこうだったから」「前例がないし」といった言葉に対しては、「だから?」とわりと反発してしまうたちです。

地雷を踏んだね、状態に。


そういう部分は普段あまり出さないので、人によってはちょっとびっくりするかもしれません。

 

従来のやり方をすべて否定するわけではないし、それがあるからこそ新しいことが生まれるのもわかるんですが、逃げるための言葉として上記のようなことを言ってるんだろうなーというのを感じ取ってしまうと、「考えるのがめんどくさいだけ」なのかなと思ってしまいます。

 

ただ、一人一人が「自分の考えをもつ」ということは、集団を維持するための弊害にもなりえます。

「それはおかしい」と気づく人が増えるということなので。

 

私は「変だ」と思うことに対して、親や友人など身近な人にわりと言ってしまうことが多かったんです。

「めんどくさいなー」と思われているのはだんだんわかってきました。

なので、今でこそ伝え方は工夫しますが、それでも変だと思うことについては、どうにか伝えようとしますし、自分もそうして欲しいと思います。

 

ただ、これ、少なくとも私にとって大事なのは「伝える」ことで、自分が相手を変えることを望んでいるわけではなく、「考える」ことをしてほしいんだと思います。

 

「考えた」上で、相手が自分と違う意見であるならそれもよし。

相手は相手の考えがあると納得します。

 

また話し合いの中で、相手のやり方を否定する事はあったとしても、それはその人自身を否定しているわけではないというのは水瓶的な考え方だと思います。

でも、そこが相手の性質によってはなかなか理解が難しいこともわかっています。

 

まぁ、「風」でからっから乾いたら、水の潤いも必要ですしね。

何があっても「味方」でいるというのは、水のエレメントの世界観っぽいです。

 


何やら、またまた脱線した内容になりましたが、個を尊重してほしいと思ったら、人と距離をとるばかりではなく、「自分はこういう考えを持っている」と周囲に伝えることも大事かと思います。

 

「伝えた」=「理解してもらえる」ではないことは頭に入れた上で。

 

 

一応最初の導入部分に話を戻しますが、娘の担任の先生も、普段から生徒に「犬をかわいがっている」話をよくしてるそうですし、おそらくそれは学校の中で周知されている事実なんだと思います。

 

だからこそ、今回の行動がスムーズに受け入れられたと思いますし、逆に自分からは何も伝えないで、「個を尊重してくれない」と思うのは違うかなと。

 

風のエレメントの水瓶は、「情報の拡散」のサインでもありますが、やっぱり受け身の姿勢ではだめなのかなと自分自身にも言い聞かせて、ここらへんで締めようと思います。