私の周りには「太陽」と「冥王星」のアスペクトを持つ人がわりといて、コンジャンクション、スクエア、トライン、オポジションと皆さんそれぞれなんですが、共通点は何だろう?と考えた時に、どこか得体の知れなさみたいなものを感じることに気づきました。
本気でやりあったら、勝てる気がしないというか。
手の内を普段は見せてないでしょ、本気出してないでしょ、と思わせる何かがあるというか。
(実際本人が意図的にそうしているということではなく)
冥王星は蠍サインのルーラーですが、同じくルーラーである「火星」が太陽とアスペクトをとっている人については、そういう得体の知れなさは感じません。
もちろん太陽と火星のサインや角度にもよると思いますが、なんかこうもっとわかりやすい。
アセンダントにコンジャンクションする私の土星。
太陽冥王星がもつ得体の知れない雰囲気に対しては、一線引いた状態で様子を見ることが多いです。
どこが地雷かわかりにくいので、慎重になってしまう。
これはOK。
これは微妙。
と反応をみながら少しずつ探っていく。
人んちの犬や猫にふれるときと似てるかもしれません。
太陽冥王星のそれなりにタイトなスクエアをもつ知人。
この方は私より少し年上ですが、やっぱりよくわからない。
だけど言葉の端々から感じるのは、「なるようになる」という腹の括り感。
もしかしたらそんな風にどっしり構えられるようになるまではいろいろあったのだろうと想像します。
冥王星ってやっぱり極端さがある天体なので、
平穏な日常では発揮されにくいのかもなんて考えます。
動乱の中にあって、はじめてスイッチが入るというか。
冥王星が効いている人は、自分をあえて追い込む状況に持っていくことで、その大きなエネルギーを活かすことができるんじゃないかと。
夫のチャートでは太陽と冥王星は同じ8ハウスにあるものの、度数的にはかなりオーブを広くとればコンジャンクションといえる配置です。
ただ、1年に約1度進むプログレスの太陽がネイタルの冥王星と重なった時期。
夫は小学生でしたが、家族と離れて1年間、車で数時間かかる山間に囲まれた学校に通い、寮に入って他の子どもたちと過ごす経験をしました。
どこかの記事に書いた気もしますが、夫によれば「偏食を治すため」に親に入れられたとのことでしたが、この出来事、太陽冥王星コンジャンクションっぽさがあります。
小学生だった夫にとっては、親元を離れ、生活環境や友人もガラッと変化するということは、とても影響力が大きかったと思いますし。
本来の目的の「偏食を治す」ことについては、今の夫をみると大成功とはいえませんが、この1年間の経験を夫は自分の中でマイナスではなくプラスとしてとらえています。
旅行の際などに、この場所の近くを車で通ることがあるんですが、「楽しかった思い出」としてよく話に出てきます。
「冥王星」というと、私のように「得体が知れないから怖い」と思うことは致し方ないのかもしれませんが、当事者にとってはそうでもないのかななんて思います。
私の月に対して冥王星がオポジションになった時も、あれやこれや確かにありましたが、今こうやって元気でいますし。
ほんとに占星術を学ぶようになってから、あれもこれも今までの出来事すべてが
「過去の検証材料」になってきます。
自分にとってはマイナスなイメージだった出来事も、占星術というフィルターを通すことで、必要な出来事だったんだと思い込むことができるというのは、たとえそれが暗示のようなものだったとしてもプラスに働くのならいいんじゃないかと思います。