お風呂上がりに化粧水をつけたり、髪をドライヤーで乾かしている間に、iPadのアプリで漫画を読むのが、ちょっと一息つける時間だったりします。


今、羽海野チカ先生の「3月のライオン」を毎日1話ずつ読み返しているんですが、タイトルにもあるように、これは「獅子座の物語」でもあり、対向サインの水瓶の学ぶための物語でもあるなぁなんて思います。


「獅子」は火のサインでもあり、不動宮なので、自分の中からの生まれた「小さな火」を、強風に煽られても揺るぎないものにしようと、じっくり育てようとするようなところがありますし、結果、その火は周囲を照らすくらい大きくなったりします。

てすが、その努力はあくまで裏側の部分であるべきと考え、人には見せることはなかなかできない。


華やかな自分、かっこいい自分だけをみてほしいと願うようなサインのように思います。

なんてったって、ルーラーは「太陽」ですし。


王様は気軽に弱音を吐いていたら、国民が不安になりますし、王様には気高くあってほしいと願うかもしれません。



育った環境の影響で、1人でなんでもどうにかしようとしたり、無理なら諦めることを選ぼうとしがちな主人公の零くんに対しての、林田先生のセリフ。


「1人じゃどうにもならなくなったら誰かに頼れ。」


「でないと実は、誰も、お前にも頼れないんだ。」



これ、自分もアセンダント獅子だったり、そこに土星がくっついているせいか、すごく響きます。


「人に頼る」ことは、カッコ悪い自分を認めなきゃいけないことだし、自分の努力が足りないのではないかと突きつけられてしまう。

差し伸べられた手が、温かいと感じると同時に、自分の不甲斐なさも感じてしまう。


あかりさんたち3姉妹との心地よさやどこか懐かしさを感じさせる時間も、ほっとする反面、そこにいてもいいのか、と自分を追い込む傾向の強い零くん。


獅子の「火」は孤高の存在であるからこそ、より一層目立つし輝いて見えるんだろうなと思います。


でも、林田先生は零くんに「水瓶の世界」を伝えようとします。


先ほどのセリフ。


「1人じゃどうにもならなくなったら誰かに頼れ。」


「でないと実は、誰も、お前にも頼れないんだ。」


これ、まさに、水瓶の世界観だなと思います。安易に「頼れ」と言ってるのではなく、まずは自分の力で頑張ってみることが前提なのがより一層水瓶っぽい。

また、一方的な寄りかかりじゃないところもまさにそう。



零くんが「獅子」を表すキャラクターなら、林田先生自体が「水瓶」を感じます。

「生徒」と「先生」という立場の違いは理解した上で、その枠の中で「支えられる最大」を目指そうとして、人に対して遠慮しがちな零くんとの距離を少しずつつめていく。

出席日数の関係で進級が危ういからと、レポート提出でどうにかなるようにしてくれたり、そのレポートも「実験」を一回もしたことがないということで書けないとなった時、大目に見るとかそういうやり方ではなく、放送部のメンバーを紹介して、実験に参加させてくれたりと、ちゃんと「教師」的なサポートです。


あかりさんたちが、強引さを併せ持つ「水」っぽさで零くんを包み込もうとするのに対して、林田先生は風の距離感で零くんを支えるともに、その世界を広げていく。

水瓶の世界を教えていくんですよね。


林田先生に背中を推され、島田さんに自ら伝えた、「研究会に入れて下さい」という言葉。


孤高の獅子だった零くんが、水瓶の世界に一歩足を踏み入れた!

もうここは胸アツな展開です。

同時に「研究会に入らない?」という島田さんもイイ!

棋士それぞれの個性は「獅子」的だけど、切磋琢磨しあう姿は水瓶的。

ライバルでありながらもお互いを認めあっている。

本当に私はこういう世界観にグッときます。



獅子でありながら「水瓶」を取り入れていく零くん。

この先、さらに強くなっていきます。

それは、唯一自分が持っているものだと思っていた「将棋」に関してだけでなく、支える側に回ったり、大事な人を守る勇気にもつながっていく。


実はひなたちゃんと友人の話がクローズアップされたあたりから、ちょっと漫画からは離れていました。

ですがまたちょこちょこと読み始めると、自分がいろいろと経験を積んだ分だけ感じ方も変わっているようにも思います。


私も人に頼ることは「甘え」だと感じがちだったり、頼ったり甘えたりすることが、逆に相手の何かを背負うことになりそうで躊躇してしまう気持ちもあります。


うまく説明できないんですが、

「〇〇してあげる」

「〇〇してあげたい」

という言葉。

自然に口から出てくるものだとわかってはいても、どこか優位性を感じてしまい昔から苦手です。

頼ったり、甘えたりすることが、どうしても「対等でいられない関係」につながりそうで怖いのかもしれません。


でも私の太陽水瓶は「8ハウス」なので、ここからは逃げられない気もします。



ですが、何度も繰り返しますが、林田先生のセリフ。


「1人じゃどうにもならなくなったら誰かに頼れ。」


「でないと実は、誰も、お前にも頼れないんだ。」


これは、すんなり響きます。


頼ることは苦手だけど、頼られる自分でありたい。

だったら、私も「人を頼る」ことをする必要があるんだな、と。


特に夫との関係において、これは必要だなと思いました。


自分でやる方が早い。

自分のやり方にこだわりたい。

マイペースでやりたい。


めっちゃアセンダントの「獅子」が出てるのか、もしくは太陽月のミッドポイントである「天王星」の影響なのか。


でもそれで背負い込みすぎて、自分の月蟹が「もっと気持ちを理解して」としんどくなることもあるのは悪循環だと思います。



ちなみに夫も太陽天秤が8ハウス。

アセンダントは水瓶です。

夫の方が、自然に「つながり」を作ることがもしかしたら上手なのかもしれません。

太陽月のミッドポイントもオーブを1度半まで広げてみれば、「木星」という湿の要素をもつ天体でもありますし。



「頼り頼られ」はどこかで「水のエレメント」ぽい関係につながると思っていた節があり、これまた個人的に苦手感の強い「義理人情」的なめんどくささを生むものだと思っていました。

ですが、水と同じく「湿」の性質をもつ風のエレメントも、風なりのやり方でのつながりをつくろうとするのだなと、林田先生のセリフにて気づきました。


私はアセンダント獅子のルーラーが8ハウスの太陽水瓶でもありますが、古典占星術的な見方をするのであれば、1ハウスから見た8ハウスは「見えないハウス」になるので、どうしても難しさを感じることはあると思います。


でも1ハウスの「自分の存在」を認める為には、頼られる自分を目指すことが必要で、それには自分も周囲を頼ることから始まるんだな、と腑に落ちたような気もします。


これは11ハウスの火星とアンチバーテックスの合や、強調されている12ハウス蟹と6ハウス山羊のオポジションにもつながってきます。


「人のために」頑張ることが、結果として自分が生きやすくなるホロスコープだともいえますね。


ああ、4ハウスのドラゴンヘッド蠍にもつながります。