自分の月のサインが「蟹」ということも関係しているのかもしれませんが、周囲を見渡すと水のエレメントの月を持つ人が多いなぁと思います。


逆に誕生日を知るくらいの近さの関係性では「牡牛」「獅子」「射手」あたりはあまりいないかもしれません。



水のエレメントの月を持つ人は、心の中に器みたいなものがあり、そこには綺麗なものや汚いものも含め、ぐちゃぐちゃと混ざり合った感情が入っていて、それは常に器の淵ギリギリに溢れそうになっているようなイメージがあります。


溢れそうなんだけど、それが標準仕様というか、満水ではなくなるとむしろエラー表示が出るような仕組みになっていて、その感情の水がカラカラにならないように他の天体が動くようなかんじ。


そしてその満水ギリギリの感情の水の器に、新たな感情が流れ込んできた時の違いが、それぞれ蟹、蠍、魚の違いになるのではと思います。



活動宮の蟹はその水の器に、水道の蛇口全開で一気に水を上から流し込むイメージです。

水飛沫をあげビシャビシャになりますが、水は一気に入れ替わります。

感情の揺らぎが起こった時は、劇的ではっきりしていて、「泣く」とか「怒る」などの方法で発散させる為、周囲から見ても大きく気持ちが乱れているのがわかりやすいけど、気持ちの切り替え自体は蠍や魚に比べると早いのかなと思います。


蠍の場合は、水道の蛇口が器の下の方とホースで繋がっていて、そこから感情の水が入ってくるイメージです。

新しく入ってきた分だけ、上から溢れ出て時間をかけて入れ替わっていく。

源泉掛け流しの温泉っぽい。

外からは気付きにくいんだけど、いつの間にか大きく変化している。


魚の場合は、入浴剤を入れたお風呂の中に無色透明の水を張った洗面器を浮かべているイメージです。

ゆらゆら洗面器が揺れているうちに、いつのまにか洗面器の中の水も同じ色になっている。

周囲の感情といつの間にか同化しているし、自分でも気づきにくい。


そんなことを周囲の「蟹」「蠍」「魚」の月の方を見て思いました。



娘の学校は、上級生が下級生を連れて班ごとに一列になって学校に登校するのですが、3.4年生くらいの男の子は総じてヤンチャ気味な子が多く、走り出したり列を乱したりとなかなか大変な様子があるようです。


一応娘は「班長」なので、みんなをを安全に学校まで連れていく責任を感じているようで、その大変さを学童から帰宅する際などに娘の口からよく聞かされます。

「興味ないかもしれないけど、ちょっと聞いてくれる?」

娘がこういった話を聞いて欲しい時によくいうセリフです。

「嫌だー」という感情が流れ込んでくると、周囲にわかる形で発散させ、そこまで後を引きません。(あくまで同じ水のエレメントの蠍と魚に比べれば)

「月」は反応なので、感情を表現するのに実際動くのは水星や火星です。

娘の牡羊の水星天王星合は言葉をこねくり回さずストレートに直観的に表現しようとするかもしれません。火星乙女でいかに自分が正しいか主張したいのかなとも思います。


娘と仲のいい、月魚のお友達がいます。

その子も同じように班長で、自分の班のヤンチャな男の子たちに困っていたようですが、娘のように発散させることは今までありませんでした。


なぜ気づいたか?といえば、新年度の通学班を決めるにあたり、その子のお母さんがお子さんの話を聞いてみたところ、涙を流してその大変さを話してくれたそうです。


「お母さん」という外側の影響や受け皿があったことで、自分の溜まっていた感情をそこで初めて出すことができたのかなと思いました。


他にも月魚の方を見ると、何か「外れた」と見ていて感じる瞬間があり、今まで普通にしていたのに、むしろ笑っていたのに泣く、みたいなパターンが多い気がします。

その逆もありで、急に笑い出して止まらなくなったり。

きっと本人にもわからないレベルで周囲とチャンネルが一致するようなことがあるのかもしれません。



月蠍。

友人に多いパターンです。

妹も月蠍。


うち友人2人は月天王星合という部分が大きい気もしますが、感情が移り変わっていく変化が全くわからないです。

でもこれも、外側からはそう見えるだけで内側から変化していっているんだと思います。

もっと近い距離にいる人にはその変化は捉えることができるのかもしれません。


やっぱり蠍は不動宮なので、感情の循環は苦手な感じもします。

入ってきたものを吐き出すルートがない状態、例えば心を許せる人がいない状態だったりすると、対向サインの牡牛的にみてみても、一番体に影響が出やすいのではないかなと思います。


妹は学生時代、この循環がうまかいかなくなったようで、心身に影響が出て不登校になりました。



水のエレメントの月について考えてみました。