気持ちのつながりを求める「水」
水のエレメントが効いている人。
自分の気持ちを受け入れてもらうことや、相手の気持ちを理解したいという思いが強いにも関わらず、現実では人と関わりを深く持たないような方も実は多く見られるように感じます。
そして、私自身も「月」が水のエレメントの蟹ですが、やっぱりそんなところがあると思います。
なんでだろう?と考えた時、
水のエレメントが強い人は、「共感」を大事にするあまり、物理的に一緒にいても分かり合えないケースにおいてはむしろ寂しさを人一倍感じやすいが故の「1人」なのではないかと思うのです。
「水」は混ざり合うことによって心地よさや安心感を覚えます。
例えば「蟹」なら「家族なんだから」「仲間なんだから」といったことを理由に、そのコミュニティの中では感情を出すことこそ必要と考えるかもしれませんし、近さ故のわがままも受け入れたりします。
「蠍」なら「あなたと私だけの世界」にどっぷり浸かりたいし、身も心も混ざりたい。違いがあるのであれば染まりたいし染めたいしでお互いの全てを受け入れ合うことで新しい関係性を作ろうとします。
「魚」はそもそも境界線自体が曖昧で、例えば広大な海の中に漂うクラゲっぽさがありますね。どんな環境においても拠り所みたいなものを見つけてすんなりハマることができるし、相手を受け入れる寛容さもある。
そんな風に「他者」の範囲は違えど、相手を受け入れることに優れている水のエレメントですが、それは「気持ちのつながりがもてるから」ということが大前提で、水のエレメントが誰かと一緒にいる意味はそこなんです。
なので一緒にいても感情がすれ違ったり、そもそも気持ちのやり取りができないような場合はむしろ相手を遠くに感じます。
表面上は距離を詰めてきても、水のエレメントの人は心の奥底の相手の感情を読み取ることに長けているので、その距離感に気づいてしまうのだと思います。
気づいてしまったら最後で「感情」に敏感な水のエレメントは、その相手の感情の動きが気になって仕方がなくなると思います。
「相手が楽しそうかどうか?」
「もしかして退屈してる?」
「自分といてもつまんないのかな?」
「無理やり合わせてる?」
なんて考えが思い浮かび始めたらもうダメで、思考のループが始まります。
また、相手の気持ちに気づくことに長けている分、もちろん配慮もするのが水のエレメント。
ですが、同じように自分の気持ちを配慮してもらえないと傷つくのも水のエレメントです。
これは相手が悪いとかそういうことでなく、単純に性質の違いによるものです。
「火」や「地」のエレメントは、基本誰かと一緒にいても「個」を大切にして、自分がいいと思ったものは他からの影響を受けにくいです。
「風」はコミュニケーションを大事にしますが、気持ちが同じである必要はなく、その違いを楽しめるような関係性を望みます。
かかわることにより経験できる「楽しさ」や「心地よさ」、また「メリット」を求めたり「情報交換」できることに意味を見出す他のエレメントに対して、水の場合は「感情を分かち合えるか?」が一番大事になります。
なので水のエレメントが効いてる人は、一緒にいてもむしろ距離を感じるのことであれこれ悩んだら落ち込んだりするうちに「一人のほうが楽」という結論に辿り着いてしまう人も多いのではないかと思います。
「他者」に対して求めるものが、他の3つのエレメントよりも濃いんですね。
でも、そんな「濃い」関係ってなかなか手に入れるのは難しい。
それは人生を重ねる中で、「自分と人の違い」を目の当たりにすることで気づいていくことなのかもしれません。
なので、ある程度の年齢になった「水のエレメントが強い人」って、人との深い関係性を築くことをあきらめている人も多いような気がします。
人に期待をしない分、自分も楽になれるから。
ですが、どこかにやっぱり「つながりたい」という気持ちがあるから寂しさを感じてしまう。
そんな水のエレメントですが、心のつながりを持てる人を見つけた時はガラッと変容できる人も多い印象です。
「変容」というと特に蠍サインのキーワードになりますが、水のエレメント全般に言えることだと思います。
相手の為に、自分を変えていくことに躊躇ないというか、むしろそんな風にできることに喜びを感じるというか。
器の形に合わせて「水」は自在に変化するように、「個」を捨てて、まずは相手の懐に飛び込んでみることで、変化につながるんじゃないかとと思います。
自分が傷つく可能性もあるけど、そんな経験をしたからこそ、本当に欲しいものが手に入るようなイメージです。
「蟹」→「蠍」→「魚」の流れをみても、それっぽいですね。
水のエレメントが効いている人って、
「傷つくぐらいなら一人がいい」
「だけど何かが足りない」
「怖いけど自分から飛び込んでみる」
「受け入れてもらえる」
「必要とされていると感じる」
このあたりをループしながら、「自分」を作っていくような印象です。