占星術についての「アウトプット」の場として始めたこのブログですが、それは同時に、私が日々感じたことを記録として残しておく場にもなっていると思います。
これ、なんか既視感があるな、と思ったら「写真」でした。
今でこそスマホで気軽に、写真を残しておくことができるし、日記代わりに画像を残している方も多いと思いますが、私がカメラにハマった頃はまだそういう時代ではありませんでした。
携帯電話にカメラ機能が追加される前、デジタルカメラが出始めの頃で、WEBで見ることを前提とした低画質、プリントアウトすると、「なんだこりゃ」レベルです。
一眼レフにハマった私は、どこに行くにもカメラをぶら下げていました。
銀塩カメラなんて懐かしい言葉をご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、フィルムなので撮影したその場ではもちろん見れないし、現像、プリントとコストもバカになりません。
カメラ自体も大きいです。
「記録」を残すことにお金と労力をそれなりにかけていました。
この記録。
工事現場では「証拠」の為に画像として記録を残すことがありますが、もちろん私の日々の生活を記録に残す必要はありません。
だけど、私は「記録」したい。
それは日々感じたことや出来事を忘れたくないからなんだと思います。
この気持ち、もともとは一緒に暮らしていた「犬」を亡くした喪失感からきていると思います。
忘れることに不安や恐怖があるんです。
「時間薬」という言葉があるように、記憶があいまいになる事は人間が生きていく為には必要なことだというのもわかります。
なんですが、「亡くしてしまったもの」を思い出すことができなくなるのは、それはそれで辛いのです。
その記憶が「痛み」でもいいから覚えておきたい。
これは私自身の性質によるものかもしれませんが、「忘れる」ということは、その存在自体が最初からなかったことのように思えてしまい悲しくなるんです。
「月」は記憶も表します。
「冷・湿」の性質をもつ月という天体は、外から取り込んだものを自分と一体化していくような性質があります。
外的刺激を受けて、感情が生まれる。
さらに、わたしの「蟹」の月でいうと、水のエレメントなので「溜め込む性質」が強いです。
水のエレメントの月全般にいえるのは、「思い出」を大事にします。
これは「水」のエレメントの性質が、やはり「冷・湿」だから。
このブログでも、「未来予測」より「過去検証」にどうしでも力が入ってしまうのは、私自身の「月」が過去にこだわる性質がもともと強いせいもあると思います。
「記憶」というものは曖昧なもので、だから美化されることもあると思うんですが、その時の一瞬を残しておきたいという思いが強いです。
ある人はそれを「日記」として残すかもしれない。
もっと言ってしまえば、「詩」「小説」「絵」「音楽」といった創作といわれるものたちも、そういった側面があるのかなと思います。
自分が人や出来事等を通して感じたこと=「記憶」を記録しておくためのツール。
そんな風に、私も感じたことを残したい。
そうはいっても人には向き不向きがあります。
その中で、割とフィットしたのが「写真」だったのかな、と思ったり。
この「写真を撮る」という作業と、「ブログ」が自分の中でリンクします。
私は「占星術」というツールを使って、自分が日々感じたことを、こうやってブログに残したいんだと思います。
さらにいえば、ホロスコープを通して「過去の記憶」にふれたい。
だから星を見る時も「未来」よりも「過去」に意識が向いやすい。
火のエレメントなら「過去に執着することになんの意味がある?未来の方が大事だよ。」となるし、地のエレメントなら「それって現実になんの役に立つ?人は思い出の中には生きていけないよ。」と突き放されるかもしれない。
「乾」の性質の火と地のエレメントに対して、「湿」の性質をもつ風なら、「思い出を自分の中で閉じ込めておかないで、みんなで共有していくことでもっと楽しくなるよ」と寄り添ってくるかもしれない。
そう思うと、このブログは「風」の要素もあるかもありそうです。
私はこう思うけど、みんなはどう?
それぞれ違って面白いね。
その「違い」を楽しむ。これは「風」。
私はこう思う、あなたもそうなのね、一緒でうれしい。「共有」や「一体化」が安心する。
これは「水」。
他の方のブログを見ていて、どのエレメントが強く出ているのか考えるのは楽しいです。
また「月」のエレメントにより、記憶として一番印象に残る部分に違いがありそうな気もします。
取り込む事自体は「水星」も動きますが、「記憶」としてどの部分が残るかは、月が関係してそうです。
例えば「人」に関する記憶。
「火」なら、その人の思想や理想など精神的な部分が印象に残りそうです。
同じ夢に向かって一緒に頑張った記憶とか。
「地」なら、声や触れた感覚、匂いなど五感に訴えかけるものや、その人といる事で現実的なメリットが自分にあったのかどうかとか覚えていそう。
「風」なら、客観的事実をそのままに。見た目補正は入らないし、名前や年齢、背の高さなどデータとして残りそう。あとは自分とは違う部分はどこかとか。
「水」なら、自分の感情優位で、客観的に見たら「え?」というような補正が入りそうな記憶。
その人といることでどんな感情を抱いたかはセットになっている気がします。
そんな風に仮定すると、私の月蟹の記憶はすごく主観的なものなので、そこに「客観性」を取り入れる為に「写真」というツールがあるといいという事なのかもしれません。
ホロスコープも「主観」に「客観性」を捕捉してくれます。
チャートをどう捉えるかは、もちろん読み手の主観が入りますが、少なくともハードアスペクトをスムーズと解釈することはありません。
これは自分の太陽水瓶と月蟹のライツのクインカンクスの関係性にもつながりそう。
「理性」と「感情」のバランス。
もちろん今の時代となっては、当たり前のように「風」のエレメントの「事実をそのままに記録する」ということができるので、個人個人の違いはあっても、それぞれがその影響は受けていると思います。
みんな気軽に写真で残したり、なんでもデジタル化してそのまま大量のデータを残せるようになっているわけだし。
そんな風に「記録」という面だけで考えると、「風」が得意な部分なのかもしれません。
だけど、例えば個人のブログのように、「その人の独自の感覚による記録」=「記憶」に触れる事で自分の感情が動いたりするのは、私が「月蟹」というのも一つの理由なのかな、なんて思います。
「その人があえて見えるもの」を好むというか。
また「自分だけが理解した状態」ぽい終わり方になってしまいましたが、この感覚わかる!という方がいたらうれしく思います。