「太陽」が目指す自分や生き方だとしたら、「月」は無意識や安心できる生き方だったりします。


「太陽を未来」

「月を過去」

 とする捉え方もあるようですが、なんとなくこれ、わかる気がします。


「月」は溜め込む天体です。

月をルーラーにもつ蟹サインは太りやすい、なんて言われることもあります。

このあたりは、「そう言われている」レベルの理解度なんですが、たまたま月蟹の私も溜め込みやすい体質なので一理あるのかもしれません。


人間、長く生きていればその分、いろんなものを溜め込んでいきます。

それは「衣類や生活用品など実態のある物」の場合もあるし「過去の思い出や感情」の場合もあります。

「写真」「手紙」「プレゼント」「子供の服」など、両方が結びついているものもありますね。

それらの「物」と「過去の自分」を結びつけているわけです。


それらは心の拠り所でもあったり、自分の生きてきた証でもあるんですが、ここに囚われていると前に進むことが怖くなることがあります。

過去の栄光に執着したり、幸せだった時を思い出し「今」を否定したり。


また、溜め込むのはいいものばかりじゃなくて、

「辛い感情」「過去の経験」などの場合もあります。

また、同じことを繰り返してしまうかも、傷つくことになるのかも、という感情は、自分の中に溜め込んでいるものによって、自分自身を苦しめているのかなと思います。



そんな風に、溜め込む性質が強い「月」ですが

「月天王星コンジャンクション」の友人2人を見ていると、やっぱり月の部分に執着することがあまりないように思います。


「月天王星コンジャンクション」というと


個性的な人

密な関係性が苦手

気分や気持ちが変わりやすい


こんなかんじを想像します。

もちろんサインやハウス、他のアスペクトも関係してきますので一概にはいえませんが。


天王星蠍世代の友人なので、2人とも月のサイン自体は「蠍」です。


「蠍」というサイン自体を考えると、深く潜り込み一体化したい性質ですので、それが執着となって表れることもあります。

ただ、ルーラーの冥王星は1か0で極端ですし、サブルーラーの火星は、持続的というよりも瞬間的なエネルギーです。

蠍に曖昧さや惰性はあんまり感じられません。


「断捨離」をイメージしていただくと分かりやすいと思うんですが、友人の場合「物は物でしかない」という考え方で、そこに「思い出」や「感情」を結びつけないんですね。

蠍自体は水のエレメントなので感情にとらわれますが、「物」と「思い出」は別、と考えるのが天王星ぽさはありますね。

だからとにかくどんどん捨てる。


とにかく基準が「今の自分に必要かどうか」なんです。


「いつか着られるかも」という基準で服を手元に残しておくことはありません。

私はこれとは真逆で、そこには「もったいない精神」が絡んでいるのかと思っていましたが、よくよく自分で考えてみると、「お金」がもったいないんじゃなくて、もしこの先この服が必要になった時、「処分したことを後悔する自分」が嫌なんですよね。

きっと過去、その「後悔」を経験してるから、処分することに躊躇してしまう。


私の場合は「月」に「土星」がゆるくコンジャンクションしている分、その傾向は人一倍強いかもしれません。


感情が大きく刺激されることからどうしても逃げたくなるんですね。

なので「変化」を誘発することはできるだけ避けたい。


でも、土星を超えた「天王星」が月に絡んでる友人達はもっと自由です。


「過去」をあえて自分で切り離すことで、身軽になれる。

「思い出」や「感情」はそのままあるけれど、それらに囚われて動けなくなることがない。


そしてやっぱり「変化」に対して恐れをあまり感じさせません。


その生き方を必要としない人にとっては無意味なことなのかもしれないし、過去に囚われるからこそ慎重にもなれたり、それが心の拠り所にもなる場合もあると思います。


でも「月土星コンジャンクション」の私から見たら、やっぱり「月」に「天王星」がアスペクトしているのは、うらやましい。


あくまで「私」の視点なので、友人には友人なりの悩みや葛藤があるのかもしれません。


でも単純に「心身ともに身軽」と思える2人なのです。