自由民主党機関紙 『自由民主』

2005年 発行

 

連想と空想

 

衆議院議員 伊藤信太郎

 

人は連想と空想の中に生きている。

物質や状況が意味をもつのは、人が記号 的連想と空想の作用をこころの中にもっているからである。

そもそも存在は、 記号の認識より生まれる。

特に政治の世界では、このことは顕著である。「自由」 「民主」これらは全て人間が創り出した抽象概念=記号である。

人間は記号構 造の中に、価値や意味を創り出し、それを信じようとし、その価値体系の上に 具体的な政治システムを創り出す。

そして何時しか自らが創った政治システム の維持そのものが自己目的化し、それを可能にするイデオロギーを逆に考え出 し、それを正当化する。

ここに政治の陥穽がある。

シニフィエ(記号の所記)とシニフィアン(記号の能記)の関係性は、常に 複数のパラメータにより変化する。そのことに気付き、しがらみに囚われずに 新たな関係性を創造し得ることが、真の「改革」能力なのかもしれない。

(了)