2002年・発表文

 

教育について思うこと

 

衆議院議員 伊藤 信太郎

 

教育がいかにあるべきかということは人類社会にとって本質的な命題であると思います。

 

今日の教育問題の根源には専門化ということがあると思います。現代では社会で生きていくのに必要な知識や訓練が高度化し細分化された専門性を帯び、一人の知恵者が生活の知恵を与える、あるいは生産活動のアドバイスをするという形では対応しきれなくなってしまったわけです。自動車のエンジンを作る人は、それなりの教育を受けなければならないし、コンピューターのプログラムを書く人も、それなりの教育を受けなければなりません。

 

人類の歴史を紐解くと、ある時期から教えるということだけを専門にする職業というものが必要になったのがわかります。教育も宗教も、元々はそれぞれの社会集団の生産様式だとか、その社会集団の生活圏の風土性というものと密接な関係を持って生まれてきたのだと思います。いわゆる土着性があったわけです。

 

そもそも教育というものは、初めから社会や生産と離れてあったのではなくて、それぞれの社会グループの営みそのものが教育だったのです。ものを作ることや獲物を獲得することと教育は別ではありませんでした。

 

しかし農業の習得による余剰食糧の備蓄、古代の都市国家の創生があり、人間の生産活動というものが集落を越えて起きてきます。そこで土着から離れた形で知識や技術というものを伝播していくようになったのです。更に文明間の交流や衝突が起き、産業革命を経て、技術や進歩の変化速度が、恐ろしいほど速くなってくるわけです。そうなると、それまでの経験だけで教えるという形や、自分の集落や狭い社会集団で得られた経験や知識だけでは、教育のニーズは到底を果たせなくなってしまったのです。

 

ところが、知識の高度化・専門化が進み、教師という職業が生まれ、学校という形態ができると、今日の教育問題の端緒となる亀裂が生じました。ある事象が教育の対象として、ある時代のある社会に認知され、教育対象科目となり、教科書が作られ、教員が養成されるまでには必ずタイムラグが生じますから、そのことによって、社会の諸活動と教育が、時間的にも内容的にも乖離(かいり)してしまったわけです。

 

それでも、社会が変化する速度が比較的ゆっくりの内は、キャッチアップがまだできていました。それが、1960~1970 年代ぐらいに入ると相当難しくなったのです。なぜかというと、その頃から産業構造の変化、それに関連した知識情報とか技術の変化、社会のあり方の変化が、幾何級数的に速くなったのです。このことが、教育の急速な陳腐化をもたらしました。

 

私も現役の大学教授ですが、それを痛感します。この状況は特に理系の大学で顕著です。大学で教えようとすることは、それを教える教員が勉強する段階で、もう半分以上役に立たないから、ましてやその教員が一人前の教授になって教えて、そして教わった人間が大学を出る頃には、具体的な知識内容としては、もう 10 分の1も役に立たないというようなことが起きるわけです。

 

それともう1つの重要な点は、教員という職業をつくったために起きた実際の社会や生産活動と教育活動の乖離が、多くの教師の精神的な脆弱性につながった問題です。これは子どもにとってはたいへん不幸なことですね。

 

ですから現代では、教えている内容が社会へ出たときにあまり役に立たなくなってきたという問題と、教えている人間の精神的な脆弱性というものが非常に顕著になってきたという問題が、全世界的に生じてきていると思います。

 

一方、現在の日本特有の問題としては、戦後社会における真の歴史教育・徳育の欠如というものがあると思います。私は教育の役割というものを考えた場合に、大きく分けて3つあると思います。1つは、知育、すなわち人間が社会へ出て生きていくために必要な知識を伝授し知的訓練をすることです。それによって知恵―問題解決能力の醸成をおこなうことです。この知育の分野で日本では歴史教育の問題があります。もともと教育の始まりというのは、今まで自分たちが長い歴史の中から伝承してきた価値や知恵を継承して醸成していくことにあるわけです。

 

人間の本質は変わっていません。そういう意味で、歴史は繰り返します。ですから歴史を学ぶことによって、現在を生きる私達が未来建設をするための的確な判断力というものが醸成されるわけです。これを実現するには、歴史の中におけるいろいろな事象の因果関係をよく理解することです。学問的にいえば人間の社会行動の一般的なモデルを抽出することですね。戦後日本で行われてきた歴史教育は、その部分を恣意的に削除しており、考え直す必要があると思います。

 

そもそも私は、ただ知識をたくさん覚えることには、あまり意味がないと思っています。

知識は、考察をするためのインテレクチュアルツール(知的用具)のひとつに過ぎず、それそのものが究極の目的ではないのです。今教育に必要なのは、自分にとって必要なインテレクチュアルツール(知的用具)が何なのかを知ることなのです。それが、昔流の言葉でいえば知恵ですね。それを醸成するのが教育だと思いますね。

 

それから教育の役割として大事なもう1つは、知識や訓練を活かす基盤としての健康で壮健な肉体を創ること、平たくいえば体育ですね。

 

そして一番大事なのが、古い言葉でいえば「徳育」だと思うのです。ところが元来「徳」というものは、本に書いてあることを覚えることによって会得できるものではなく、徳のある人とのふれあいを通じて感動することによって、その人のように生きたいなと感じることによって自然に養われるものであると思うのです。ですから生徒や学生にとって生きるモデルになれないような尊敬に値しない教員が、いくら道徳の本を読んで聞かせても何ら徳育にはならないのであります。ですから徳育をすすめるには、教員を含め、子供にふれる大人の徳を磨くことが、すなわち自らがお手本となれるような立派な生き方をすることが肝要であると思います。

これからの教育改革は、そういう点に留意する必要があると思います。

 

ところで科学者の中にユダヤ人は非常に多くいて、優れた業績をたくさん残していますね。アインシュタインもそうですけれども、それはなぜでしょうか? 

いろいろな理由があると思いますが、その大きな理由に、言語教育というのがあると思います。ユダヤ人の子弟は、最低2ヵ国語、大抵3ヵ国語を話す環境で育っています。

 

人間は「言語」でものを考えています。言語によって現象というものを認識して、そこに意味付けをして記号化していきます。そして記号化したもの同士の関係性を明確にして考えているのですね。意味にも2段階あります。英語的にいうと、ドノテーションとコノテーションということになりますが、言葉には、言葉が直接的に示す意味と、言葉が隠喩的に示す意味があるわけです。

 

現象ということと、認識ということは違います。現象と認識の差異をつかさどっているのが文化ですし、その中で中心的な役割をしているのが言語なのです。色を例にとっていえば、日本語に「青い」という言葉があって、英語に「ブルー」という言葉がありますね。でも、日本語の青いと英語のブルーという言葉が意味するものは違っている。それから同じ青いという言葉も、使っている人によって、それが意味するものは違います。人間の可視光線というのは赤外線から紫外線の間ですが、例えば青は 450~500 ナノメートル位の光の波長だとしても、ブルーは 480~520 ナノメートル位の波長かもしれない。それからアメリカのブルーとイギリスのブルーも若干違って、イギリスのほうが波長高かったりするということがあるわけですね。要するに現象の中から、私は青いという言葉を使っているために、ある部分を青色と認識したり、茶色と認識したりしているわけです。このように、物理現象からどこを区切るかということは、言葉によって違うのです。 ユダヤ人がなぜ科学者として優れているかといえば、小さい頃から複数言語に接しているため、ものごとを複眼的・多元的(マルティプル)にみる能力が備わっているからなのです。

 

言語ということでみると、日本が明治以降急速に科学技術を進歩させたということと、日本語の存在というものとは深い関係があります。日本語というものは日本語だけで既にダブルアプリケーションというか、2つの要素があるのです。日本語は、世界でも珍しい、表意文字と表音文字を兼ね備えた言語です。そしてその2つの要素を1つの文章の中に入れた二重構造を持っているのです。

 

表意文字の民族と表音文字の民族では、思考過程が異なります。表意文字というのは元々象形文字からきていますから、形から直に意味に繋がります。一方、表音文字の民族には、それがないのです。表音文字では、あくまで表音文字を連続したひとくくりで音にし、音から意味に繋げているのです。

日本語というのはすばらしい言語で、新聞を読むときもパッと見て、例えば大文字で漢字の部分が「特別検査」という、こういう一つのコノテーションがあって「不良債権」という別のコノテーションがあります。そして、「まとめる」とか「なる」とか、表音文字のひらがな部分を読んでその関係性をみます。また、文学的にもすばらしい言語です。

 

そのことが、科学をする場合にも非常に活きるわけです。現象というものをどう認識するのか。認識した単位同士の関係性というものを明確化し、普遍性・再現性を発見することが科学の大事な命題ですから、科学者がどの言語を使うかということと、科学の発展は大変関係すると思います。

ですから、私はもし日本から日本語というものがなくなって、みんなが英語を母国語にしたら、日本の科学発展は遅れると思います。

 

そこで私はこの前、文部科学委員会でもいいました。「科学技術に力を入れたモデル校としてスーパーサイエンス高校を作るのは良いが、そこから語学教育を除いたらだめですよ」と。

 

東洋では元々表意文字を使う民族が多かったのに、英語に慣れてどんどん表音文字化していることは、大変危険だと思います。世の中に表意文字と表音文字との両方があって、それが文化の多様性を創っているのだし、それが人類の進歩をもたらしているのだろうと思います。

 

新しい文化や文明というのは、常に複数の違う文化がぶつかって生まれてくるわけです。ですから、世の中が全部英語化されアメリカナイズされるということは、ほかの地域にとって不幸なだけではなくて、アメリカにとっても不幸なことになるのです。

 

そのことを例証する端的な例は、アメリカの成功事例であるシリコンバレーです。

シリコンバレーが、なぜあの位置に生まれたのかということです。あそこは、東西の文明がぶつかった位置にあるのです。

西海岸のシリコンバレーには、ベトナムとかインドとか中国から多くの人々が太平洋側から渡っています。特にベトナムからは、ある時期多くボートピープルが来ました。

そして東側からは、西洋人が多くやって来ました。それが、ぶつかった場所がシリコンバレーなのです。多くのベンチャー企業の人的構成を見ると、経営者に一世移民の西洋人が多いですね。そしてチーフエンジニア・主任研究員・主任技術員が、アジア人、特にベトナム人インド人であることが多いですね。ある意味では、2つの文明がぶつかって初めてアメリカのシリコンバレーのベンチャー企業の成功があるわけです。

 

日本の教育というものを考えた場合も、やはり日本の中における多様性というものを大事にする必要があるし、言語は複数勉強する必要があると思います。そして前段の話に戻れば、やはり徳育というものを真剣に考える必要がある。また歴史教育に対する再考が必要だろうと、私は思っています。

 

人間は物的なもの以外にもいろいろなものを創りだしましたが、そのなかに思想や概念もあります。従って思想や概念というのは歴史的に社会的に相対的なものだと思います。

それは常に歴史の中で陳腐化する宿命を持っています。

 

ですから、太平洋戦争終結後の占領軍によって流布された一部の思想や概念が、あたかも金科玉条のように未来永劫変わらない絶対的な価値であるという風に考えるのは、いかがなものかと思います。逆に占領した国のほうの状況が変わってしまって、それがつっかえ棒になっているような部分もありますね・・・。

 

いろいろ書きつらねてきましたが、私がいわんとするところは要するに、これからの教育改革というのは、単に教員の待遇をどうするかとか、教員不適格者に辞めてもらうようにするというようなパッチワークぐらいでは、対処しきれないということです。

 

「人間にとって、社会にとって、教育とはなんぞや」という本源的な命題の深奥を極め、教育をその本来的価値から再構築をすべきであろうと思います。その真摯な努力の中から歴史教育をどうすべきであるかということに対する解答でてくるだろうし、徳育のあり方に対する解答ということもでてくるだろうと、私は思います。

 

そして「教育」を、真の人間の「幸せ」につなげる知性や悟性や感性も涵養されてくると信じます。

(了)