おはようございます、いとうです。
私、下の名前をさやかといいます。
ひらがなです。
以前、中国語を使う地域に住んでいた友人から、中国語では名前を音読みにすると聞きました。
名前に漢字を使っていない私や、漢字をそもそも使わない国の人たちは、その音に当てはまりそうな漢字を当てはめて、それを音読みにするそうで。
元々の名前じゃない漢字を当てはめて、更に音読みにするなんて、もうワケカワラナイなぁと思ったものです。
(仕事で中国語圏内の人たちと関わっていた時は、みなさん日本語ペラペラで、「平仮名表記」してくれていたので全然気づきませんでした。)
わたしは英語くらいしか分からないですが、英語なら音(おと)で伝えるじゃないですか。
だから平仮名人間のわたしは、英語では名前はそのままの印象ですが、中国語になるとまるで馴染みのない名前を使うことになります。
若い頃に、香港出身の友人から「今はドイツで働いていて〇〇(実際の名前とはまるで違う名前)という名前を使ってるよ」と連絡を貰った時に衝撃を受けたのですが、呼び名への執着はまるでなさそうでした。
なんだかとてもスマートだなという印象を受けました。
(わたしは何に執着しているんだろう。)
わたしにとって名前は「音(おと)」なんですね。
だから、その音に合わせて漢字を当てはめるのなら大丈夫だけど、日本の漢字を当てはめてそれを更に中国語読みにする、というのはすごく違和感がありました。
違和感というか、他人事のような感じ。
苗字は元々漢字があるので、それを中国語読みにすることについては「へー、そうなんだ」とおもしろく思いました。
そして最近、逆のパターンを知りました。
つまり、「音(読み方)ではなく、漢字が自分の名前」という価値観。
なるほど、と思いました。名前に使う漢字は、きっと両親が祈りを込めて一生懸命に考えたもの。
どんな気持ちでこの名前にしたんだろうかと想像してみると、気持ちが温かくなります。
これまでは、わたしにとって名前は音(おと)ですから、普段は気軽にひらがなで書いちゃったりしていたわけです。ひらがなが好きというのもあって。
勝手にひらがなで書いちゃうなんて、なんて失礼なことをしていたんだろうと思いました。
「名前は音(おと)」を世界共通の価値観だと思っていました。
自分の中での当たり前は、当たり前すぎて“そう思っていること”にすら気づくのは難しいですね。
なんで「当たり前」って思っちゃうんでしょうね。誰も得しないのに。