おはようございます
青空がキレイな土曜日ですね
今朝もまだ風が冷たい感じではありますが、
予報ではようやく寒さにも終わりが見えてきそうな感じです
明日あたり、今度こそ冬物をクリーニングに出しても大丈夫かな
さて、私は、
ここしばらく花粉がえらいことになってまして、
一昨日は、夜中の2時にくしゃみが止まらなくなって目が覚め、
ベッドから這い出して薬を飲んだのですが、
しばらく鼻水と涙が出て、
朝起きたら、泣きはらしたような顔になってました
今朝もいっぱい寝ようと思ったのに、5時半のくしゃみで起床
家に入る前にしっかり花粉を払って、
速攻でお風呂に入って、髪にも残さないようにして布団に入っているつもりなんですけど…
一体どこに付いてる花粉に反応しているんでしょう
昨日、一昨日と西方面への出張が続いたのですが、
東より西の方が、花粉量が多いと思うんですね
これは東京の花粉症の方は皆さんおっしゃるので、
ほぼ間違いないと思います。
ヒノキ、今が最盛期で、あと3週間くらいでしょうか…
あんまり薬漬けになりたくないんですけど、
こればかりは仕事にならないのでどうしようもないです
なんとか気合いを入れて頑張りたいと思います
では、スナップです
① 木曜日の「ミヤネ屋」は、HANAE MORI のブラウスに白のスカートを合わせました
シンプルだけど光沢のある素材なので、上品で着まわしも色々できそうです
巨大なオブジェ越しにフェリーが停泊していました。
そして、私の後ろに見えているのが、屋島。
そう。
源氏と平氏の「屋島の戦い」がまさにココですね
こうして見ると、屋島はキレイな台形。
ってことは…今は四国に活火山はないのですが、
昔は噴火してたってことでしょうか?
どこで噴火した溶岩
うーむ、謎だ。
港に接するように、高松城跡があります
高松城は天正15年(1587)に豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正が築城した水城。
この辺りは「玉藻の浦」と呼ばれていたので、
またの名を「玉藻城」と呼ばれています。
生駒家は4代続きましたが、お家騒動で讃岐一国を召し上げられてしまい、出羽国へ。
その後入城したのが、徳川家康の孫、常陸国下館藩主だった松平頼重でした。
以来、11代288年に渡って高松は松平氏の城下町として栄えたんですね
実は高松城は老朽化で明治時代に取り壊されてしまっていて、現在復元中ですが、
天守閣の土台までは復元が完了して、登れるようになっていました
これは月見櫓といって、
出入りする船を監視したり、
お殿様が江戸から船で戻られるのを望み見たので、
「着見櫓」とも呼ばれているんだとか。
短い時間でしたが、思い切って控室を飛び出してみて良かったです
出張のサラリーマンの方々に混じってちょっと浮いてる感は拭えませんでしたが
本場の美味しさは逃せません
お昼に続いて3個目のかき揚げもトッピング
大満足の高松出張でした
ではでは、私はこれから美容室に行ってきます
皆さんどうぞ楽しい週末をお過ごし下さいね