こんばんは
今日の新潟はいいお天気でしたよ~
青空と雪の里山の風景、最高でした
さて、新潟駅に着いて、まず昨日タクシーに置き去りにした荷物を取りにUXに向かったら、
ナマトクの岡くんが玄関まで持ってきて待機していてくれました
ありがと~~
本当に助かりました
スーツケースの中には、パソコンやタブレット、化粧道具に今日の仕事の資料まで入っていたので…
実は大変なことでした
これからはちゃんと指差し確認して、忘れ物しないように気を付けます
さて、今日は「伊藤聡子と新潟の経営者」の収録でした。
今日のゲストは、株式会社ごはん 代表取締役 大島 知美さんです。
あ、私は…今日はそんなわけでお化粧もままならず、
きょうはごまかしのメガネおばちゃんです
さて、「株式会社ごはん」って、面白い名前でしょ
文字どおり、中魚沼郡津南町にある「ごはん」の会社で、
有機栽培に特化したこだわりのお米を百貨店や高級スーパーで販売するほか、
お餅や和スイーツの製造販売、コレド日本橋室町2でのアンテナショップ…
そして、海外へも輸出するという、
まさに変革が求められる農業界で革命的なビジネスを展開する注目企業なんです
大島さんは300年以上続く農家の息子に産まれました。
当然跡を継ぐように言い聞かされ、農業高校を卒業して農業に従事してみたものの、
朝は早いし、夜は遅いし、なんてったって肉体労働はキツい…
こんなのやってらんねーっ
と、お父さんを騙して車を買ってもらい、なんとその車で逃亡
2年間バーテンなどをしながら夜の世界に身を置き、全く音信不通になったそうです
ところが、何かの用事で叔父さんに連絡を取ったところ、
親が大変な思いをしてるのに何をやっているんだ!とこっぴどく怒られ、渋々帰ることに…。
帰って大島さんがまずやったことは、
とにかく儲けを増やすために、安い肥料に切り替えたりしながらコストを押さえ、ひたすら収量を上げることだったといいます。
すると、最初は良かったのですが、
3~4年で土がパサパサになって、収量も減ってしまいました
土がパサパサだと、米もパサパサでまずい…
やっぱり土が米の味に直結するんですって
結局、お父さんが有機肥料で何年もかけて育ててきた土を自分がたった数年で全てダメにしてしまい、
とんでもないことをしてしまったと、
またゼロから有機栽培への道を歩み始めました。
そして、異端児として周りから煙たがられながらも、独自の栽培と販路で勝負し続けたといいます。
大島さんが最初に海外に進出したのは台湾。
「海外でやれる!」と思った決め手は、海外市場に出回っている日本食は、並み以下のグレードのものばかりだったからだそうです。
本物の日本文化としての食を知ってもらえば、絶対にイケる
そう感じて、有機栽培で他の3倍も高いお米を百貨店で売ったら、
ちゃんと売れたんだそうです
今はアメリカ、ヨーロッパにも輸出していますが、「世界に味のわかる人はちゃんといる」とおっしゃいます。
とにかく安全安心に徹底的にこだわる高品質の食を提供し、ブランドとして確立していくことが、TPPにも勝ち抜く道!
大島さんの挑戦は続きます
農業をいかに産業として成長させるかは、
日本にとって大きな課題
興味深いお話でしたので是非お聞き下さい
さて、私はボンバルディアで大阪へ
明日は「ウェークアップ!ぷらす」です
どうぞよろしくお願いします
今日の新潟はいいお天気でしたよ~
青空と雪の里山の風景、最高でした
さて、新潟駅に着いて、まず昨日タクシーに置き去りにした荷物を取りにUXに向かったら、
ナマトクの岡くんが玄関まで持ってきて待機していてくれました
ありがと~~
本当に助かりました
スーツケースの中には、パソコンやタブレット、化粧道具に今日の仕事の資料まで入っていたので…
実は大変なことでした
これからはちゃんと指差し確認して、忘れ物しないように気を付けます
さて、今日は「伊藤聡子と新潟の経営者」の収録でした。
今日のゲストは、株式会社ごはん 代表取締役 大島 知美さんです。
あ、私は…今日はそんなわけでお化粧もままならず、
きょうはごまかしのメガネおばちゃんです
さて、「株式会社ごはん」って、面白い名前でしょ
文字どおり、中魚沼郡津南町にある「ごはん」の会社で、
有機栽培に特化したこだわりのお米を百貨店や高級スーパーで販売するほか、
お餅や和スイーツの製造販売、コレド日本橋室町2でのアンテナショップ…
そして、海外へも輸出するという、
まさに変革が求められる農業界で革命的なビジネスを展開する注目企業なんです
大島さんは300年以上続く農家の息子に産まれました。
当然跡を継ぐように言い聞かされ、農業高校を卒業して農業に従事してみたものの、
朝は早いし、夜は遅いし、なんてったって肉体労働はキツい…
こんなのやってらんねーっ
と、お父さんを騙して車を買ってもらい、なんとその車で逃亡
2年間バーテンなどをしながら夜の世界に身を置き、全く音信不通になったそうです
ところが、何かの用事で叔父さんに連絡を取ったところ、
親が大変な思いをしてるのに何をやっているんだ!とこっぴどく怒られ、渋々帰ることに…。
帰って大島さんがまずやったことは、
とにかく儲けを増やすために、安い肥料に切り替えたりしながらコストを押さえ、ひたすら収量を上げることだったといいます。
すると、最初は良かったのですが、
3~4年で土がパサパサになって、収量も減ってしまいました
土がパサパサだと、米もパサパサでまずい…
やっぱり土が米の味に直結するんですって
結局、お父さんが有機肥料で何年もかけて育ててきた土を自分がたった数年で全てダメにしてしまい、
とんでもないことをしてしまったと、
またゼロから有機栽培への道を歩み始めました。
そして、異端児として周りから煙たがられながらも、独自の栽培と販路で勝負し続けたといいます。
大島さんが最初に海外に進出したのは台湾。
「海外でやれる!」と思った決め手は、海外市場に出回っている日本食は、並み以下のグレードのものばかりだったからだそうです。
本物の日本文化としての食を知ってもらえば、絶対にイケる
そう感じて、有機栽培で他の3倍も高いお米を百貨店で売ったら、
ちゃんと売れたんだそうです
今はアメリカ、ヨーロッパにも輸出していますが、「世界に味のわかる人はちゃんといる」とおっしゃいます。
とにかく安全安心に徹底的にこだわる高品質の食を提供し、ブランドとして確立していくことが、TPPにも勝ち抜く道!
大島さんの挑戦は続きます
農業をいかに産業として成長させるかは、
日本にとって大きな課題
興味深いお話でしたので是非お聞き下さい
さて、私はボンバルディアで大阪へ
明日は「ウェークアップ!ぷらす」です
どうぞよろしくお願いします