おはようございます
今朝はあいにくの雨になってしまいましたが、暖かくて薄手のショートコートでも全く問題ないです。
突然春になっちゃいましたね
さて、天皇皇后両陛下が式年遷宮後初めて伊勢神宮を参拝されましたが、
今回「三種の神器」が携行されたそうですね。
三種の神器、教科書に出てきましたね~♪
こちら↓です。
さて、この中で、糸魚川出身地質マニアの私が注目したいのは、
この緑色に輝くヒスイの「勾玉」(まがたま)です。
このヒスイの勾玉は、実は糸魚川産のヒスイが加工されたものなのですが、
実はそのことが成分分析でわかったのは、最近のことなんです
ヒスイの勾玉自体は、北から南まで、日本全国の縄文遺跡などから発見されてきたのですが、
最近まで、これらは全てミャンマーから大陸を経由して日本に渡ってきたものだと考えられてきたんです。
つまり、ヒスイは日本列島には存在しない、というのが数千年に渡って常識になっていたんですね。
ところが昭和に入り、糸魚川の川原や海岸にヒスイがあることがわかり、
さらに時代を経て成分分析ができるようになると、全国から出土するヒスイはもちろん、朝鮮半島やアジアから出土しているものも、糸魚川産のヒスイであることがわかったんです
でも、糸魚川に住んでいる人はヒスイがあるってわかっていたはずでしょ
と思いますよね
ところがヒスイの原石は真っ白なんです。
このように、一見、まるでフツーの石だったりします。
パカッと割らないと、あの緑や青は出てこないんですね。
でも、すごく重くて硬い石なので、昔の人はヒスイとは知らずに屋根の藁葺きの重石に使ってたりしてたんです。
ちなみに私の家のお婆ちゃんは、川から拾ってきて漬物の石に使ってました
考えてみたら、ものすごく高価な漬物石
あれはでっかいものだったなぁ…。どこにいったのかなぁ・・・。
さて、ヒスイというのは、ほとんどが糸魚川かミャンマー産のもの。(グアテマラからもちょっと出るらしいですが。)
どちらも地球のプレートがぶつかり合うところで、糸魚川は糸魚川ー静岡構造線、ミャンマーの産地にはマンダレー構造線が走っています。
つまり、本来は地下深くにしか存在しないヒスイの塊が、プレートがぶつかり合うことで地表に現れる、ま、大地の恵みなわけですね。
で、こうした大地の圧力がくぐっと高まるところに、古代の人も何らかのパワーを感じとって、
その証でもあるヒスイを、パワーストーンとして、皇室の祖先の方や各地の権力者が持つようになったのかもしれません。
ところが、不思議なのは、縄文時代から古墳時代まで使われていた糸魚川のヒスイが、何故か突然使われなくなり、その事実さえ歴史からこつぜんと消えてしまったことなんです
こちらの糸魚川にある長者ケ原遺跡は、ヒスイの加工場だった場所でたくさんの勾玉が出土していますが、
未完成品で、まだ穴をあけている途中のような状態のものがたくさんあって、
まるで突然閉鎖されて隠されたみたいなかんじも受けてしまうんです
これについては色んな見方がありますが、
ここにヒスイがあることを知っていた人全員が、無理矢理移住させられたり、抹殺されたりしたのでは?という説もあります
何も道具がない時代に、あの硬い石に穴を開けてあんなにツルツルに加工したことも含めて、
なんだかマチュピチュ的なミステリーでもありますね
というわけで、興味のある方、是非糸魚川に行ってみて下さいませ
おまけ:
昨日の衣装は、ETRO のブラウスとスカートでした
柄の出方が計算されたスカートのプリーツはさすがです
おまけ②
今日のひるおび!で、佐渡にまた2つもダイオウイカが上がったということで、
私が以前ブログに書いた「フォッサマグナに関係あるかも?説」も紹介してくれていたんですが、
あえなく撃沈し、やっぱり森さんの「気象説」が王道のようでした。
ま、温暖化で海の環境も変わってきているというのはあるでしょうね。
ともあれ、真実はダイオウイカのみぞ知る。
彼らは何を語っているのでしょう?