こんにちは
今日と来週の「伊藤聡子と新潟の経営者」 は、
株式会社オーシャンシステム 代表取締役社長 樋口 勤さんです。
オーシャンシステムは、新潟県三条市に本社を置き、
・小売事業(業務スーパー、 チャレンジャー)
・弁当給食事業(百米・ぐるめし・フレッシュランチ・・)
・宅配事業(ヨシケイ)
・旅館事業(海風亭 寺泊 日本海)
など、食品関連事業を全国に展開し、現在売上は402億円にも上ります。
このご時世、3年で100億ペースで売り上げを伸ばしているという脅威の会社、(株)オーシャンシステム。
その歩みに迫りました。
、オーシャンシステムのスタートは1966年に三条市で両親が惣菜にご飯も一緒にしたお弁当屋さんを始めようとしたことがきっかけでした。
しかし、オープンに向けて取り寄せていたお弁当の容器が届いた日に、お父さんが亡くなってしまいます。
しばらくはショックから立ち直れなかったお母さんでしたが、長男とともに、そのうち先頭に立ってお弁当屋さんを切り盛りするようになったといいます。
そのうち、次男も加わり、お弁当工場も作って順調に売り上げが伸びていきました。
樋口家は3人兄弟。
一番下の現社長の勤さんは、もともと絵が大好きで、デザイナーになろうと東京の服飾学院に内定が決まっていたのですが、
「こんなときに兄弟がバラバラニなったらダメ!」
と、母親に必死に引きとめられ、「ひぐち食品」に就職することになったのです。
入ったばかりで修行中の勤さんに、お母さんは「4000食の営業をしなさい!」というミッションを課します。
勤さんには途方もない数字に思えました。
しかし、工場の新設などの投資を回収するためには、確かにこの4000食がマストであり、それができなければ倒産してしまう状況でした。
そこで、条件として容器を従来の古臭いものから新しいものに変えてもらい、営業をスタートし、
なんと3ヶ月後には4000食をクリアしてしまい、兄弟からも「おまえは営業の天才だ!」と驚かれたのです。
一体どんな風にしたらそんなに契約が取れるのでしょう?そのやり方は?
「アフリカで靴を売る、という話、聞いたことありますか?
ある人は、誰も靴を履いていないのだから売れるわけがない」と言い、
ある人は「誰も履いたことがないのだから、履くことを経験してもらえば売れるはず」と言いました。
物事をプラス思考でとらえるか、マイナス思考でとらえるか、という面白い話です。
私は後者の考え方で、炊き立てのごはんを食べてもらって、ウチの美味しさをまず知ってもらったんです。
3日~1週間のお弁当は無料、食べた後に気に入っていただければ注文をいただくというやり方です。
自信があったので、食べてもらえば必ず分かってもらえると思っていました。」
なるほど・・・。
このやり方で、まだ弁当文化のなかった新潟市内にも進出し、
気が付けば、県内に次々と新規工場がオープン。1日の製造数が1万5千食を超えていたそうです。
実は勤さんのこのガンバリの裏には、長兄と次兄が食材の宅配でおなじみの「ヨシケイ開発」とフランチャイズ契約を結び、そちらでどんどん事業を拡大し、大ヒットしていったことこともあります。
兄たちは目新しい事業に行ってしまい、結果的に家業のお弁当事業は勤さんが引き受けることになったのですから、兄たち負けられない!と、がむしゃらにがんばるしかなかったのです。
勤さんも、実はその後新しい事業に乗り出しました。
「食後にコーヒーを飲みたくなるよな・・・」と、今でいうオフィスコーヒーの宅配事業にも全国に先駆けて始めたのです。
弁当の販売先にコーヒーメーカーを無料で貸し出し、コーヒー豆をを小分けにした化粧ケースをおいてもらい、飲んだ分だけ請求するという、「富山の薬売り商法」でした。
これが大当たりで、フランチャイズ契約の希望が殺到するまでになりました。
すべてが順風満帆・・・。
ところが・・・・
お母さんが急性白血病で61歳でこの世を去ったのです。
亡くなる直前に勤さんはお母さんから1枚の便せんを渡されました。
「わたしはひぐちグループを日本のひぐちグループまでのしあげたいのです。」と震える字で書かれていたのだそうです。
さらに、翌夏、食中毒を出してしまい、被害は200名にも上ってしまいました。
お弁当屋さんで食中毒は、致命傷になりかねない大失敗です。
日本一どころか、これで終わってしまうのか・・・・。
窮地に陥った勤さんは、お母さんの残した手紙を何度となく読み返したといいます。
そして、
「お弁当に専念していればこんなことにはならなかった。これからは全国に通用するお弁当を作ろう!」と決意したのだそうです。
そして、驚くことに、コーヒー事業からは完全撤退してしまったのです!
普通、こういう時にどちらの道を選択するでしょうか?
お弁当で食中毒を出してしまったら、そちらは自粛して、ヒットしている宅配コーヒー事業に専念する方が会社の悪いイメージは払しょくできるし、そちらの方がラクに思えますよね?
ところが、勤さんは、お母さんの遺志を貫くべく、全国の人が美味しいと心から思えるようなお弁当事業を作り上げるべく徹底的に向き合ったのです。
そして、結果としてその姿勢によって、全国からも信頼される美味しいお弁当に成長していきました。
平成のコメ騒動でお米が足りない時も、他の会社がタイ米を使用する中、絶対にコシヒカリ100%はゆずりませんでした。
さらに、今では当たり前になっているお弁当に敷いてあるシート。
これは勤さんが、膨大な容器を洗う手間も水ももったいないということで開発し、特許をとったものです。
その売り上げだけでも大変な額になります。
また、カラーメニューもこの会社が初めて。デザインの道を志した勤さんの才能が、こういう形で活きたのですね。
人生の選択って、考えさせられますね。
ついつい目先の利益で考えて行動してしまいがちですが、勤さんのお話をお聞きしていると、
もっと長い目で、一人の人間として何を大事にするか、ということがとても重要なのだとつくづく感じます。
そして、そういう選択ができた場合、後に必ず「信頼」という換え難いものを得て、結果的に利益もついてくる・・・そんなことを学ばせてもらった気がします。
その後、ヨシケイで成功した長兄、ヨシケイからスーパーマーケット事業も展開していた次兄、そして弁当事業を成功させた三男の勤さんで、ここで一つの会社を創ろうということになり、
1998年、(株)オーシャンシステムが誕生。
2009年に三男の勤さんが社長に就任したのです。
長兄、次兄が会社を去り、結局お弁当一筋でがんばってきた勤さんが社長になったことは、お母さんの遺志が通じたのかもしれませんね。
これからは高齢化に向けて介護食も手掛けていきたい、と、まだまだ夢がいっぱいのオーシャンシステムのこれからが楽しみです!
ポッドキャスト でもお聞きいただけますので、是非社長自らの言葉でお聞き下さい